ピピピピピの爽やかな日記帳

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ピピピピピの爽やかな日記帳

親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

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人生が詰んでいて精神的に疲れたので、ブログを休止します

ブログ論

30歳底辺の衰退し続ける日常について

 メンヘラ記事を書くつもりはなく、客観的に考えた上での話なんだけれど、ここから落ちる一方の人生で、この先、疲労困憊しか待っていないから、そろそろ人生を降りたくなって来た。

 とはいっても、なんやかんや寿命を真っ当することにはなるだろうから、そんなことを考えるだけ無駄なのだが、これからの未来できっと、自分の何も出来なさに失望して、痛みを感じる日常がいじめっ子のように待っているのかと思うと、夜寝て朝起きるこの連続に耐えられなくなり、発狂するように思考し、文章を書いてしまう

 無気力感というか、このまま日陰でじめじめと暮らしていても実りがない気がする。

 正直なところ、親の会社で働いていること、親と頻繁に接することで、過去のイザコザの歴史を思い出してしまうため、ひたすらに苦痛であり、かといって、30歳間近で低学歴・資格免許技能なしという底辺履歴書を書いたところで、まともな会社は雇ってくれない。

 絶望しながら今を生き続けて、いつか壊れて、より悲惨な明日が待っているのかと思うと、尻すぼみな人生ゲームにうんざりしてしまう。
 人生にも自分にも思い入れがないから、無味乾燥な春夏秋冬を、ゴミ箱にクズが滑り落ちるように数十回過ごし、「予想通り失敗でした。感想は……ないです……」という言葉を残して最期を迎えるであろうことが、予測出来る。

 こういうことを書くと、病んでいるように思われるかもしれないけれど、そんなこと全くなくて、どこまでも爽やかな気分だ
 たぶん、完全に、人生を、捨てるように生きてゆくモードに入っているからだろう。

 それと自分が悪くて落ちぶれたことはまず間違いなく、「社会のせいだ」というような責任転嫁式の悪感情が出現しないため、自己破滅的に開き直っているからこそ、疲れながらも開放感があって、今ここに存在しないかのような浮遊感がある。

ネットで承認だけを食べ散らかして飢えを凌ぐ日々

 どうしてわざわざこんな記事を投入するのかというと、風邪を引いたときにくしゃみが出るのと似たり寄ったりなもので、鬱憤を吐き散らすことによって救われたいという心的なメカニズムが稼働したためである。

 そして、かまってちゃん気質ゆえに、一人でも多くの人々に、「かわいそう」「無理しないで下さいね」「ゆっくりして下さい」という慈愛に溢れた言葉を手に入れようとする、疲弊した者にありがちな、楽して楽になろうとするお得意の狡猾さが肥大化したからだ。

 同情を買うことで心を安定させる、不健康な精神的食事。

 まず一つ言えることは、頑張り屋だから疲れたのではなく、怠惰屋だからすぐになんらかの結果を出したいと思って短期的に頑張り、そうした忍耐力のなさゆえに、無理がたたって疲れてしまう訳だから、そうやって休んでいる期間を合算すると、頑張り屋でも怠惰屋でもない、ごくごく普通の人々よりずっとサボっていることになり、つまり僕は、単なる疲労困憊した落伍者であり、ただそれだけの話なのだ。

「性格が良いから病むんだよ、気にしないで」というメッセージをしてくれる人もいるのだが、そもそも性格や道徳感情というのは、常時固定されたものでなく、その人の置かれた環境や状況によって変動するものであり、余裕のなさは往々にして、蓄積したストレスを発散するために攻撃衝動や破滅願望、妬み嫉みへと繋がりやすいことを鑑みると、逆に性格が悪いから、病みが止まらないという結論に達する

 また、人間社会で生きる以上、しがらみに縛られるものだから、人々はありのままの性格を表に出せることはなく、ゆえに外部から評価される性格の善し悪しなどというものは、所詮、複合的な紛い物の産物に過ぎない。

 仮に、心奥に優しさが浮いているのだとしても、誰かに向けて発射されない優しさなど、個人の空想、妄想、感想の域を出ない。

頑張れないから病む 忍耐力がないから病む 嫉妬に囚われるから病む

 人間的な劣りこそが、憂鬱を呼び込む誘い水であることは、経験観測的にいって間違いない。

 そのため、「メンヘラに3億円を手渡せばすぐさま元気になる」という話が飛び交う訳で、僕のように品質の悪い人間は、上級な存在が、努力と能力によってやっと勝ち取るような報酬、景色、賞賛を一瞬で得ると、劣等意識がぱっと忘失するために、打って変わって陽気になるのだ。

 つまるところ3億円というのは、低次元な自分を忘却してくれる、秘密兵器なのである。

 無論、それだけの金を手にした後でも、ひょんなことから自分の悪性部分を想起してしまい、病みが再発することも考えられるが、そうなったとしても、「一般大衆よりもわたしは幸運だ。3億円も手に入れたのだから。わたしは嫉妬される対象。気持ちが良い。嫉まれるってこんな快適な気分だったのね。優越感こそが幸せの厳選なのよ!」と思い込みやすいから、ぐちぐち悩むのではなく、尊大な態度で我を忘れられるため、持たぬ者だった頃よりは、遙かに晴れた心で生きられる。

 そうやって病みを克服した気になった者は、痛みを思い出さないようにするため、自己正当化を繰り返すため、端から見ると性格の悪い存在と捉えられやすくなり、いつの日か孤立するリスクが高く、金持ち友達おらずの状態になり、結局は不幸に陥りやすいと思われる。

人は疲れが蓄積すると無気力になり、退屈を感じ始め、過激思想を持ち始める可能性がある

 退屈という空白な日常に耐えられないからこそ、どんなバカであっても、論理的に自分の絶望感や虚脱感、寂莫感、疎外感に深い理由付けをしようと務めるようになってゆく。

 極端な例を出せば、テロ組織ISなんかは、なぜあんなにもまとまれるのかというと、単なる精神錯乱者の集団ではなく、一人一人が、論理的に己の悲惨さを考え抜き、確固たる怒りと言う名の答えを所有しているからだ。

 論理がそこにあるから、屈強な理念を共有し合い、手を取り合うことが出来る。

 もしもあいつらが、単なる異常者であれば、個々人が街中で暴れるだけで終わるはずだし、集団化することは不可能になる。

 なぜこんな荒いたとえ話を出したかといえば、ISみたいな非人道的組織でなしにしても、人は自分の人生に嫌気が差し、それについて考える退屈な時間を持ちすぎると、少しずつ壊れてゆき、自分あるいは他人を傷付ける危険な生命に成り下がるのだと確信したからだ。

 一人一人の人間には大きな変わりはない。大きく違うのはその人を取り巻く、環境や状況だけである。
 性格が悪いから人生や道徳や自分が壊れてゆくのではなく、頭と運が悪いからこそ、落ちぶれ、余裕がなくなり、全身全霊で嘆いている内に、その姿を見た人々に、「性格が悪い、素行が悪い」と断定されてしまい、他人が押し付けた印象そのままに生きるようになり、予言の自己成就的に、厄介な存在となる訳だ。

 人生に充実した者であれ、突発的かつ短期的な性格の悪さを発揮することがある。
 対照的に人生に悲観した者は、継続的な性格の悪さを持ちやすい

 それは嫉妬、ルサンチマンであったり、不甲斐ない己を忘れようとするための暴動であったりする訳で、根深い復讐心のようなものが腹の底でひしめいているのが原因だから、よっぽどのことがなければ、その病みは完治しない。

 人生に疲れ切った者は、心中から悪感情を外へと捻り出す名人だ。

 人生を楽しんでいる人だって、心ない発言をして人を傷付けるようなこともある訳だが、人生を楽しめていない人は、心ある悪意の発言をする
 自分が悪いことも認めた上で、つまり開き直ったように怒りを吐き散らすということだ。
 思いやりの大切さも知っている、人を傷付けちゃいけないことも知っている。
 しかしながら己に降りかかる痛みの量が過大であるがゆえに、自分をセーブ出来なくなるから、心ある状態で道徳や常識を突破し、圧力を伴った悪意を社会に叩きつける。

 人間、一度壊れると、二度壊れ三度壊れ、取り返しが付かなくなる。
 崩れゆく日々の中、何を希望にして生きたら良いんだろう?
 暴走4トントラックか。

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雑記・弱者男性は、若くて可愛い子と付き合ってはならないという話

 戒めの意味で書いておく。

 弱者男性にはやはり、ババア以上ドブス未満、くらいの相手がお似合いなのかもしれない。
 余っているブスやババアであれば、彼女たちの心の中に寂莫感が存在する可能性が高いから、一緒に遊ぶだけでも、幸せにしてあげやすいし、それは徳の高い行動といえる。
 スタイルの良いブスは売れやすいことを考えると、ぽっちゃり以上のブスか、ありきたりなババアという、二者択一

 辛いな。

 ババアの中にも素敵な子がいるのだけれど、そういうババアはキャリアウーマンだったりして大金を稼いでいるから、マネーがババアという成分の持つダークなパワーを低下させるため、若くてかわいい子に等しい魅力を放ち、余裕でモデル顔負けのイケメンを飼ったり出来る訳だから、そういうババアには弱者男性と付き合うメリットは皆無ということになる。

 そう考えると、デブスかへなへなのババアしか残されちゃいない。

 辛いな。

 僕は別に良心的な人間ではないんだけれど、さすがに長時間、弱者のオーラを浴びせかけて、綺麗な花を枯れさせるようなことをするのは悪いなと思ってしまう。

「かわいい」は、消費期限のある貴重な武器だから、それがあればいくらでも、ハンサムでタフガイで若くて金持ちで性格も良くて男らしいという、強者男性と付き合える訳だ。
 それなのに、僕みたいな弱者男性が洗脳するように、喋りの技術などでもって誘導し、交際をスタートしてしまうと、人生における貴重なチャンスを女の子から奪い取ってしまうことになる。

 相手の女の子が性格的に優れている、良い子であればあるほど、かわいそうだし、一回のデートすら付き合わせるのが悪いなと思えてきてしまう。
 可愛い子が、僕みたいな弱者男性と遊ぶっていうのは、買ったばかりのお洒落な洋服を着てドブの沼にダイブするようなもの

「弱者」って感染力が強いから、一緒にいるとその子まで堕落したり、運が悪くなって、没落者になってしまいかねない。

 世の中には、「そんなことないよ。恋は損得勘定じゃない」なんていう話があるけれど、実際問題、若い時間は有限であるし、女の子の外面的な消費期限はとてつもなく短いから、少々は考えてあげないと、かわいそうだと思う。

 かわいいの搾取は良くない。

雑記2・読んだ本

病的に自分が好きな人 (幻冬舎新書)

病的に自分が好きな人 (幻冬舎新書)

 

なぜ根拠のない自信がもてたり、非現実的な夢がもてたりするのだろうか。それは、自己愛が強すぎるために自分を見る目や現実を見る目が曇っているからだ。自分がかわいすぎて、実際よりもはるかにかっこよく見えていたり、有能に見えていたりする。いわば、自己認識や現実認識ができないのだ。

 と書いている訳だが、ヘラることを生業とし、他人からの注目という精神的な金儲けをすることで生き延びる病んだ者が、僕も含めて千万無量にいる訳だが、なぜこうも病弱な繰り返しの日々に甘んじるのかといえば、強大な自己愛が膨らんでしまい、正常な計画、努力による着実な進歩が出来なくなることで、今すぐ心に利益を運び入れたいという、どこまでも他力本願な思考に頼ってしまうからだ。

 病むというのは、究極最大の堕落症状、自己陶酔。
 この世から消えたくなるのは、これ以上、かわいい自分が落ちぶれる姿を見たくないからであるし、人に嫉妬するのは、本来の自分はもっと高い位置にいてしかるべしというナルシスティックな考えを持っているためである

 自分が大好き、すなわち自己中心的。
 意識が常に自己へと注がれているから、絶望感や疎外感を直視してしまい、病みが深まってゆく。

 このように意識が極端に、自分に向きすぎていると、社会や他人を憎悪し、「あいつは性格が悪い」と思ってしまう相手が増え、敵を増やす人生を送りやすくなる。

 性格というのは何かと言えば、自我の働きのことだ。

 自分の持つアイデンティティが、他人の持つアイデンティティとぶつかった際に、食い違いが生じて、「あれ? 違和感、なんか好きじゃないな」となったときに相手のことを性格が悪いと判断しやすい。

 人は、相手の心情を完璧に読み取ることは不可能だから、感覚で判断するしかない。
 だから自我の安定していない人は、「他者になんだろうこの人……」という違和感を与えてしまいがちなため、性格が悪いと思われやすい。
 しかしながら、病んでいる人が、「性格は良いよ。素直だから病むんだよ」とフォローされやすいのは、そこに同情という機能が働いているから。

 諸事情を抜きにして考えたら、自我の安定していない人は厄介者、つまり性格の悪い人と判断されてしまうものである。

 自己認識と現実認識のズレは、こうやって全てを歪ませる。

 人間精神というこわれもの。取扱注意。

 という訳で少しの期間休みます。
 疲れが長引いたら3週間くらい休むかもしれないです(๑¯Δ¯๑)/っっ!!!!!

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