ピピピピピの爽やかな日記帳

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ピピピピピの爽やかな日記帳

親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

ピピピピピの爽やかな日記帳

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たった一記事(執筆2時間)で、約8万円が転がってきた件について

ブログ論

時給換算4万円

 僕の三次元生活における最高時給は3000円ほどなので、10倍以上の額である。

 一つの道を30年以上掛けて極めた、経営者である父親の時給と並ぶほどの金額だ。

 もちろん、こんなものは一発線香花火だし、新品ハードカバー本だと100冊買えないし、外食していたら三週間もあれば飛んでしまう。

 しかし、僕のように承認欲求を満たすことのみが目的である、先天性かまってちゃんからすれば、たった一つの記事を23万人以上に読まれ、そのうえ8万円ほどの広告費が転がり込んでくるというのは幸せなことであり、その喜びはひとしおだ。

 バズった記事は下記のもので、

pipipipipi-www.hatenablog.com

 Google Now、SmartNews、NewsPicks、facebook、Twitter、2chとうとうに拡散し、幅広い層に読まれた。

なぜバズったのかという分析

 3年前(はてなブログにはじめて来た頃)にも、同等規模に盛った記事がいくつかあった。

 そのときの僕は年収0万円かつ借金100万円を抱えていて、孤独な東京難民生活という人生の詰みに直面していたから、そこで芽生えた悪感情を売りに、「地獄のゲストハウス生活について」や「他人の税金を貪って生きるしか他ない」といった種類の記事を書いていた。

 どんな環境下であれ、本音や事実を飾らずに、文章を飾ることさえ徹底すれば、たまに大勢の人間の心に良くも悪くも刺さり、バズを引き起こすのであろう。

 今回に関しては、ドナルド・トランプが大統領になったり、ポリコレや少数派、弱者についての議論が噴出し始めた頃合いに、そうした風潮が蔓延する世間を逆撫でするような記事を提出したため、怒りや呆れをベースにした反応を引き起こしやすかったのだと思われる。

 嫉妬心と優越感は、個人ブログをバズらせる上で重要な要素となっており、このたび投下した記事のように、自虐と思わせて自慢でありながら、そのうえ辛みをくどくど語ることで味方を集めようとする狡猾さが前面に出ているものは、読者がむしゃくしゃしやすい構造になっている。そこへ更に、最終局面でタイトルとは一切関係のないチキン南蛮の画像を貼り付けたことで、怒り着火システムがほぼ完成した。そして冒頭での疑問、「愛は一体どこにあるのだろう?」に対し、最終文章にオチとして、『愛は食卓にある キューピー』を持ってきたため、読者は、「Oh, shit!! 舐めやがってクソ野郎!」と気分を害してしまい、その結果として怒りし者たちが、はてブやコメントで嫌みを書き、感情を消化しようと躍起になり、そうした流れの線がどんどん膨らんで、23万人以上に読まれることになったのだ。

 こういった他人の黒い感情を引き出すことに快感を得るような、露悪趣味的な思考をし続ける生き方をするのが、個人ブログ記事を大勢に読ませる一つの鍵となるんじゃないかと思った。

 とはいっても、結局は運に尽きる。

 全て後付けの考えでしかないし、どこまで行っても運という要素を持ち合わせた人間かどうかで、バズに関わらず楽しい人生を送れるかどうかは全て決まってくる。

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片手間プロブロガー生活

 ブログメイクマネーというのは素晴らしいもので、外に出て働くような副業と違って、自宅で犬を抱っこしながら書いたり、今期のアニメ(魔法少女なんてもういいですから、など)を視聴しながら読み直しが出来たりと、一切の心的負荷なしに豊かになれる。

 僕の中で自己主張するという行為は、エアウィーヴのベッドで熟睡したり、高級マッサージ店で施術を受けたり、犬と海を走ったりするのとなんら変わりないリラクゼーションの時間だ。

 だから寝て起きたら入金されているのに等しく、不労収入を獲得している感が強烈である。

 長文の自己主張が蓄積すれば検索流入は増加するし、支持者も増えることによってより稼ぎやすくなり、金のなるブログという土地を所有する有産階級層の仲間入りをした気分になれる。

金も炎も求めていないからこそ吹き上がる、金と炎

 僕は時折、炎上ブロガーと酷評されるのだが、しかしながら火を付けようと思って書いたことは一度たりともない。

 素直に頭に浮かんだことをそのまま文章にすると、たまたま人の琴線に触れてしまうだけなのである。

 ただただ文章を読んで貰いたいということしか心にないから、頑張って金を稼ぎたいという思いは一片もない。

 それでもなぜ広告を貼っているかといえば、棚からぼた餅的な、つまりあぶく銭を手に入れられると、通常読まないような書籍に手を伸ばしたり、無駄に雑誌を多く買ったりして、普段であれば踏み込めない世界のことを知れる確率が高まるからだ。

 そうやって新規の情報を金で買う習慣を得るために、言い方が悪いけれどブログ収益のような稼いだ気がしない、軽さのある金を得たいのである。

 もったいない荒々しい金遣いをすることによって、その瞬間は損をした気分になったとしても、長い目で見ると人生の柔軟性を高められて、日常の豊かさが増す。

 つまり捨てるように使う金が欲しいから、広告を貼っている。

 本業で貰える給料は、経営者である父や、それを支えている母、そしてクライアントのお陰で入金されるものであり、同じ金でもそこに含まれる意味が全く違う。

 そうした貴重な金になってくると、ビルディングからアイキャンフライさせるような自殺的消費はしにくい。

 コンサバな消費しか出来なければ、生き方も退屈になってしまいがちだ。

 そうした守りに入った生き様を打ち砕くために、投げ銭のごとく使えるような金が必要なのだ。

 よって、どうせなら、という思いで広告を貼りだしている。

「ピピピピピの文章は読みにくくてつまらない」という批評について

 こうした批判を、煽り抜きにして書いている人が多々いた。

 自分で読み返しても、なるほど確かに装飾過多で冗長であるし、上手いこと言ってやった感が大変鼻につく。

 そうした僕なりの工夫が露骨に見え透けるということは、それだけ程度が低いことの証左であり、修行が足りないということなのだろう。

 たとえその批判を、棚上げスノッブさんたちが放っているにしても、その発言自体は事実であるから、今後の自己改良プログラムの一つにしっかり組み込んで行く。

 それに僕は、学生時代などやるべきときに勉強していなかったのだから、ろくでもない無教養の人間になるのは当たり前で、だったら10年遅れていると考えて、その間は鳴かず飛ばずの土の中と思えば良い話だ。

 小説を書くなど、やりたいことは山ほどあるけれど、そのどれもがしっかり知識を吸収してこなかったせいで、どう考えても低レベルなものしか作れていない。

 しかしこれは現在の僕がダメなだけの話であって、十年後、四十歳になった僕は遅れを取り返して、抜群に良い文章が書けるようになっている可能性がある。

 短期的に結果を出そうとして焦ると、心が疲れてしまったり、「能力がないから何も出来ない」という及び腰の発想になってしまう。

「才能がないよ」とか、「お前には何一つ出来ないよ」ということを十年後の僕が言われたらさすがにショックかもしれないが、今現在の教養的クズな僕が何を言われたところで、全て事実だからダメージを受けようがない。

 腐っていた過去を修復するような気持ちで、今やるべきことをやっている最中なのだから、何言われてもうんうん頷くだけである。

「~だから私はダメなんです」っていうのは、今すぐ結果を出したいという傲慢極まる考えであって、十年我慢して脳髄を雑巾掛けすれば全て解決する。

 自己を振り返ると、学力がない適応力がない創造性がないなど色々あるけれど、それらをまとめると、単なる使い物にならないバカということになる。

 とはいっても、過去に無駄にした十年もの歳月に、もしも本気で頑張っていたらどうなっていたか? と考えると、きっと人よりも上に行っていたと思う。

 だったら十年頑張れば、人よりも満足のゆく人生を高確率で送れるということだ。

 僕はなぜか根拠のない自信があって、全く同じ競争を10000人とやったら9999人くらいには勝てる気がする。

 それが誇大妄想かどうかは、十年後に答え合わせが出来るから、今はその気持ちを傲岸不遜などと自己評価しない。

 プロセスが破滅的でも、結果良ければ過去は全て美点となる。

 十年後の結果が全てだ。

愚かな本音の発露こそ、個人ブログの神髄

 結局は他人がどう思おうと、自分を柔軟に改造して、一種の狂いがあるような人生を送ることが、意識的に思考可能な生物・人間として生まれてきた最大の幸せなのではないか。

 人間は犬や虫と違って、可変式生物であり、犬は犬の人生、虫は虫の人生しか送れないが、人間は言語を獲得していて思考が可能であるため、どんなクレイジーな存在にでもなろうと思えばなれる訳だ。

 それならば、狂いが生じた人生を生きたい。

 中には、「誰もが特別になりがたっている」「特別な存在になりたいという、ありきたりな考え」などという声もあるけれど、特別な何かをやろうとしている人ほど、特別な何かを達成する率は髙いだろうし、特別な存在になろうとせずに特別な存在になれる人は天才だけであり、僕のように普通以下の存在は、どう考えても、特別になりたいと願い続けて生きた方が良いに決まっている

 人生で最も費やすべきは、運良く幸福になれる率を高める作業であり、その率は強引に高めてなんぼだ。

10000人と同じ条件下で競争したら、9999人に勝てると思う理由

 今回の記事に対しての意見を一通り読んで思ったのは、人は人の一動作だけを見て、瞬時にろくでもない人間かどうかを判断し、それを実際に口に出してしまう生き物なんだな、ということだ。

 でも僕の持つ持論はそういうのとは反対で、努力しない人というのはただの一人も存在せず、生きている人間は誰であれ、その人の考える最良を手にするために必ず、なんらかの試行錯誤をして生きていると思っている。

 他人に対して怠惰だのと罵ることが出来る人は、レールの人生――お決まりの型に沿った行動や勉強以外は努力と認めない存在であり、逸脱者は何をやっていても落ちぶれている、と判断することしか出来ない。

 つまりマイノリティ潰しをナチュラルに行ってしまう、サイレントキラーな側面を大半の人間は持っているということだ。

 世の中の老若男女は、存外にも色眼鏡を外せない人だらけなのである。

 でもこれはよくよく考えると、それだけ人類というのは僕自信も含め、大したことのない存在であるともいえるし、資本主義社会での競争相手のほとんどは、へなへなの弱い敵なのではないか、と思える。

 基本的に人生は、どんぐりとの戦いなのである。

 一般的な企業で数年働けば、思ったより仕事の出来る人って少ないな、ということが分かるものだ。

 僕は以前、有名なオラオラ系営業会社に所属して働いていたのだが、フロア内にいた百人以上の社員の中で優秀な人は、多くても10人いるかいないかくらいであった。

 優秀な人には屈服し、代わりに弱い者を倒して上り詰めるのも、人生の勝利法の一つだ。

 一部の強者には一生掛かっても勝てないかもしれないが、ごった返す弱い人々には本気で頑張れば勝てる、それが人間社会なのである。

 だから僕は、未来って目が痛くなる程に明るいと思う。

 傲慢に闊歩しながらも、謙虚に研鑽を積んで生きる覚悟を決めたならば、街を歩いてすれ違うほとんどの人間より、幸せで笑えて金のある人生を送り続けられるはずだ。

 僕の場合は、経営者の父親をはじめとした周囲の人間に恵まれているし、無学無能だけれどそれゆえにちょっとの成果を出せただけで大仰に感謝してくれる環境が完成しているから、インタラクティブな感謝の念が常にあって、幸運の中に生きているという実感が、自分一人だけでなく、他人との繋がりといったソーシャルな輪の中でも感じられることにより、常時楽しく過ごせている

 それがあるから、瞑想なんて一秒もしなくたって、常に頭はクリアだ。

 そういったものは補いの行為だから、毎秒満たされている人間はしてもしなくても良いのである。

 金運も僕は昔から最強であるし、父親が独立開業したことによって以前よりも収入は激減したけれど、一軒家は貰えることが決まっているから、最低限の生活はどんなに落ちぶれてもまず間違いなく可能だ。

 金が金を運んでくるという言葉があるけれど、幸運も同じで、幸運であればあるほどますます幸運になる。

 人間の感じる幸せって、心の自動生成品のようなものだから、幸運であると思い込みやすい癖付けをすると、滞りなく延々と幸せなんだよね。

 そのため、僕が将来、何者にもなれないゴミクズみたいになったとしても、普通の人よりは幸せであること間違いなし。

 幸せとは感情の一種だけれど、経験観測的に機械に近いもので、一度幸せが浮上しやすいようにプログラミングされると、幸せが終わりなく続く。

 人間感情は複雑でありながら、単純でもあるってことだ。

 であるからそう考えると、僕はやはり運だけで生きている人間だなと痛感する。

 そして僕は、能動的な愚痴しか吐かないことにしている。

 自然発生的に自分を蝕むような愚痴は、つまらないの一言で切り捨てられることが多いのは分かっているから、利益還元率の高い意識的な愚痴だけを吐きたい。

 自分の支配下にある愚痴が好きなのであり、自分の行動を操る寄生虫のような愚痴は嫌いだ。

 それゆえに僕は、前者の愚痴しかブログ記事でも吐かない。

 自分という本体が脳にあるのか心にあるのかは不明にしても、なるだけ自分をコントロールしている意識は持ちたいものである。

最後に、人生が詰んでいた頃にお守り代わりだった名言を引用しておく

 極貧生活を送っていたころは、本屋に行き、自己啓発、現代小説、古典作品など片端から手にとって、自分一人で生き抜くために必要なガソリンを吸収するために、詰んでいる自分を奮い立たせるための言葉を集めていた。

『極端』こそ我が命

世の中には選ばれるモノと、選ばれないモノがある。そして人は誰でも、選ばれるモノになりだがる。しかし奇妙な事に、多くの人は、その為の戦略を欠いている。『極端』は、選ばれる戦略の最大のキーワードだ。

憂鬱でなければ、仕事じゃない 見城 徹, 藤田 晋

 

コツは、どっちにしても極端にする事だ。もの凄く善人か。もの凄く意地悪いか。振り幅を大きくしよう。有頂天に喜ぶ。怒髪天をつく。

イヤなやつほど成功する! -マキャヴェリに学ぶ出世術  スタンリー・ビング,吉田 利子

 

大阪の人はサービス精神過剰で目立ちます。今の世の中は、少ないか過剰か、どちらかでなければダメです。

ナニワ成功道 中谷彰宏

 

あなたの目標は、あくまで目立つ事だけなのだから。有能そうに見せるための作戦として、『極端にリスキーな意見を口にする』と言うのは、優れた方法。

書籍不明。

 

自分と他者の違いを鮮明にせよ

『大勢の中の一員』だとしてしか認識されないのが、一番マズイ。これでは自分が埋没してしまって、目立つ事ができない。

書籍不明

 

まずは何よりも覚えてもらう人間になることが重要だ。その為には平均的によく出来た人ではダメだ。

人よりも極端にずば抜けてやっていることがあると、その知識やライフスタイルが必ずどこかで役に立つことになる。
バランスの悪さで人は覚えられる存在になるのだ。

書籍不明

 

とにかく目立て。
マーケティングの専門家セス・ゴーディンは、「目立たないものは、存在しないのと同じだ」だと述べている。
ゴーディンは、珍しいもの、人目を惹くものを「紫の牛」と名付け、とにかく目立つことがマーケティングでは肝要だと指摘している。目立たなければ、何も始まらないからだ。
たとえ辛辣な批評を受けようが、何も噂されないよりは、少なくとも「自分を認知」させることには成功している訳であり、その意味では、万々歳だと言えよう。
毒にも薬にもならないような人間を目指してはならない。
仮に悪い批評であろうが、人に噂される様な、存在感抜群の人間になろう。

書籍不明

 

 

憂鬱でなければ、仕事じゃない (講談社+α文庫)

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