ピピピピピの爽やかな日記帳

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ピピピピピの爽やかな日記帳

親の経営コンサル会社で働く20代後半、社内ニートの話

ピピピピピの爽やかな日記帳

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共依存型の女は簡単に口説き落とせる そんな女に浮気されたくらいで怒る男はダサい

自己主張

最初に、結論を書いておく

 共依存型の女は口説き落としやすい。
 愛情飢餓によって、「優しい言葉をくれる男なら誰でも歓迎!」状態になっているから。
 ブサイク然りオッサン然りキモオタ然り。
 難易度の低い女を獲得しておいて、浮気の一回くらいで怒る男は器が小さい。
 男を取っ替え引っ替えするタイプだからこそ、あなた程度の男とも付き合ってくれたのだ。
 彼女が浮気体質じゃなければ、その恋は始まらなかった。
 よって、浮気に感謝するべきだ。

共依存(きょういそん、きょういぞん、英語: Co-dependency)、共嗜癖(きょうしへき、Co-addiction)とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す。 すなわち「人を世話・介護することへの依存」「愛情という名の支配」である。

共依存 - Wikipedia

共依存型の女は、世界で一番簡単に口説き落とせる

 ホスト、ナンパ、キャッチの経験が数年ある者であれば、共依存体質の女が、どれほど恋に落ちやすく、浮気や不倫をしやすいのか、痛いほど熟知しているだろう。

 先に断言しておくけれど、共依存型の女に片端からアタックしていれば、どんなブサイクでも、どんなオッサンでも、どんな性格破綻者でも、恋愛や結婚をスタートさせることが出来る。
 なぜなら、共依存の女の子というのは、常に自分を認めてくれる存在を求めているから。
 空っぽの心に、「可愛いね」「良い子だね」「偉いね」「頑張ってるね」「大変だよね」という賞賛や共感の言葉を投げ込んで貰いたくてしょうがないのだ。

愛情飢餓のせいで、過剰に男を求めてしまう

 誰であれ、遭難して空腹の時であれば、大嫌いなナスビやピクルスだろうと嬉し涙を流して食べるはずだ。
 それと同一の飢餓状態に陥っているのが、共依存型の女である。

 彼女たちは、胸中の空洞――不安や不満、恐れを、優しいワードで埋め尽くしてくれる相手であれば、容姿だけでなく人格さえも問わない

 そのため、こうした女が悪い男に引っ掛かると、あの手この手で誘導されて、真夜中の業界に沈められたりしてしまう。
 それも女側から率先して、「ダニエルのためなら、わたし……なんでもする。そしたら頭撫でてくれる? センキューーーっ!」といった風に、「はい、喜んで!」の精神を発揮しながら、夜陰へ転げ落ちてゆく

好きな人のためならばなんだって出来る!」という危うい心理のせいで、自分の自尊心が知らず知らずのうちに削られていることにも気づけず、あるいは気付いていないフリをし、どこまでも不健康な明るさで猛進してしまう。

楽々と口説き落とせる女と付き合ったならば、問題だらけなのは当たり前

 共依存の女は心が満たされないからこそ、恋愛的な暴走をする。

 こうした特徴から目を背けて、「裏切られた」「傷付けられた」「信じていたのに」と感傷に溺れる男は、浅いし痛いしダサいなと、思ってしまう。

 片手間に口説き落とせる相手をモノにしておきながら、全力で支える覚悟はなくて、ちょっと浮気されたくらいで激怒するって、都合が良いのではないか。

 彼女が精神的に錯乱気味であることくらい、出会ってすぐ分かるものだし、目を離せば最悪の事態になることは予想がつくはずだ。
 にも関わらず、「浮気されました。酷い子です」と被害者ぶっているのは、なんとも情けない。

 それって、「俺が全力で愛情を注いでやれば、彼女は変われるはずだ!」という一方的な期待を掛けていたせいで生じた悲しみなのだろうし、まさに共依存、エゴの絡み合いのみで繋がっていた、薄い関係である。

 共依存というのは、愛情飢餓が引き起こすものだから、気付けば浮気を行ってしまうのは症状の一つと考えられる。

 それを絶対に許せない男が、なぜ共依存の女と付き合うのか?
 楽して可愛い彼女を作れるからに決まっている。

共依存の女は、正常な判断を出来なくなりがち

 僕は過去に、社会不安障害で共依存型のキャバクラ嬢と付き合っていたことがあるのだけれど、実は彼女には婚約者がいることが後で発覚したり、同棲三日目に男が怒鳴り込んできたりと、散々な目に遭った。

 彼女は、僕と出会って2日目で告白して来た。
 ここだけを切り取って語ると、僕がモテているように思えるかもしれないけれど、そんなことは全くない。
 なぜなら彼女は、たった1年で20人以上の男に告白したと語っていたからだ。

 そんなことをしてしまうのは、幼少期に親に捨てられて、天涯孤独の寂しい施設生活を強いられたせいである。
 やはり、共依存の引き金は愛情飢餓であり、適切に心を満たす術を知らないために、刹那的な快楽に耽る道を選んでしまう。
 これが厄介なのは、端から見れば破滅的な恋愛も、彼女たちからすれば、「幸福と愛情を獲得する最後のチャンス!」というくらいの気持ちで挑んでしまっていることだ。

 愛情と正常な思考は密接に関係しているもので、愛が欠落していると、酩酊したかのように支離滅裂な行動を取ってしまうのである。

 彼女が一度、ミクシィのコミュニティで知り合った、共依存仲間を複数人連れてきて話を聞く機会があったのだけれど、どの子も愛に飢えていた。

 なぜ自分が浮気したのか、自分は一体どうしたいのか、好きという感情はなんなのか

 自己喪失が起きていて、自分について語れない子だらけだった。
 だから答えを求めて、次々に男を取っ替え引っ替えする。

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共依存の女が辿る転落コースは、どれも似通っている

 付き合う→別れる→付き合う→別れるを憑かれたように繰り返し、疲れ切った頃に、ダメ男と出会ってしまってヒモられ捨てられ、人を愛することにますます不安を覚え、そんなときに大してモテなさそうだけれど純粋そうな男と付き合い始めるのだが、どれだけ愛情を受け取ってもまだ足りない感覚があるせいで、ちょっとした拍子に浮気してしまい、純情な彼氏はブチギレ、なんとか許して貰うために、「あなたがいなくなったらわたし、終わりです。ダニエル君を失うのが怖いです……」ということを涙ながらに語り、男の奴隷になろうとするため、幸せな恋愛とはほど遠い人生を送る羽目になってしまう。

 これほど共依存の子は難しい。

 終始不安を抱えた存在であるから、男が希望を与える言葉を放り込むだけで、意図も簡単に彼女にすることが出来てしまう。

 しかもこういう子に限って、凄まじく色気があったり、顔が整っていたりする
 そうでありながら、実際に付き合い始めると、そうした魅力が吹き飛んでしまうほど重苦しい場合がほとんどだ。
 そのため、「ずっと大事にするからね」と最初は口にしていた男であっても、いつの日か彼女に対しての怒りがみなぎり、川の上流からどんぶらこどんぶらこと流したくなってしまう。

 共依存の子はすぐに放流される。そしてまた誰かの手に行き渡る
 捨てる神あれば拾う神ありの原則が、倍速モードで展開するのだ。

 結果、お手軽な女になってしまう。

 そう考えると、共依存の女に一度浮気されたくらいで落胆するような男は、最初から付き合うための技量がなかったと考えられる。

 可愛い、口説きやすい、尽くしてくれる

 これに加えて、純粋さまで求めるのは、少しばかし要望が多過ぎる。
 そんな願いが全て実現するような上級の女であれば、引く手あまたであるし、周囲の男だって簡単には逃がさないだろう。

 要するに、浮気をしちゃうからこそ、共依存型だからこそ、あなた程度の男と付き合ってくれたのだ。

 浮気をしてくれた女に感謝しよう。
 ビッチに愛を。

心が深刻なため、防音室に引っ越してブログを再開することで人生を建て直します

ブログ論

 はてなブログ休止報告をしてから、早一週間、体感時間に換算すると3年ほど経過したため、本日より復活することにした。

pipipipipi-www.hatenablog.com

 僕くらい自己顕示欲が強い人間だと、発信行為を辞めただけで頭痛に苛まれたり、風邪を引きやすくなったりと、禁断症状が現れる。
 なにより、仲間はずれにされたような感覚を覚えるから、可及的速やかにインターネットで絶叫しなきゃ、メンタルが使い物にならなくなってしまう。

 僕の心と人生を上向かせるためには、はてなブログが必要だと確信した。

防音レベルの高い分譲住宅へのお引っ越し

 気が向いたら発狂可能な、分厚い壁が売りの優良物件を契約した。
 角部屋、住人の属性が良い、駅まで命懸けで走れば一分

 これにより、腹式呼吸での独り言や、静寂を身に纏っての瞑想が行える。
 奇声を上げたり、号泣したりしても、誰一人に咎められない。
 全てを許された空間。

 去年からずっとこのような住処を探していて、やっとこさ発見した。
 善は急げであるから、とやかく自問自答することなく、すぐさま不動産屋に電話。
 そうして物件を内見し、恋に落ちて結婚した。

 その関係で、諸々の手続きや荷物の移動などで慌ただしくなるため、ブログ休止記事を書いたのである。
 入居は3月からであり、まだフレッツ光やプロバイダの契約も済んでいない。
 そんな訳で、『3週間くらい休むかもしれないです』と前回の記事で伝え、落ち着くまではてなブログから遠ざかるつもりだったのだが、承認欲求の進化がめざましく、今にも胸骨や肋骨を粉砕して飛び出さんばかりな気配がしたから、安全のために復帰を早めた。
 といった流れを経て、極限の集中力を発揮しやすい作業空間を確保出来た。

 今まで住んでいた家は、ペーパーハウスと呼ばれるくらい壁が薄っぺらで、電話するのも、くしゃみするのも、ラーメンをすするのも躊躇するほどであった。
 あらゆる生活音、個人情報が近隣住人の耳に入ってしまうからだ。
 それに加えて、隣が動物園というか、犬、猫、カラス、おんなが、はてなブックマーカーのように叫び散らし、這いずり回る空き地だったのもあって、朝から晩まで騒がしく、書くのも読むのも一苦労だった

 これからは、そうしたケダモノに心を乱されることなく、白紙に全てを注ぎ込める。
 今まで以上に露悪趣味を発揮して人を激怒させたり、気が狂ったようにネガティブな文章を書いて、人を真っ暗な気持ちにさせたりしやすくなる。
 どうせ書くなら、良い意味でも悪い意味でも、大勢の読み手に多大なるダメージを与える、ジェノサイドなライティングをポリシーにして継続して行きたい。

せっかくの防音物件なので、今後は口頭筆記も取り入れることにする

 ドラゴンスピーチという音声認識・音声入力ソフトや、ICレコーダーもいくつか持っているから、目を瞑って眼精疲労を防ぎつつ、ペラペラと喋るだけで文章を作れる。

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 これからは、瞑想したり、風呂に入ったり、寝たりしながらでも、口だけ動かして記事を完成させられる。

 僕はどちらかと言えば、書くのが苦手ですぐに疲れてしまうが、お喋りならば24時間ぶっ続けでも苦じゃない。
 そのため、口頭筆記や録音してからの書き起こしを取り入れれば、史上最高のやる気を持って種々雑多な記事を乱射出来るだろう。

 以前のブログでは、最新ニュースを切ったり、アニメ・マンガ・小説のレビューをしたり、芸能人を罵倒したりと幅広くやっていたから、そういうのも復活させて行きたい。
 顔出しお喋り動画も、その延長で作成して、ほとんどの記事に貼り付ける方向でやって行こうと思う。

 本格始動は3月中旬くらいからになるだろうけれど、とても楽しみだ。

趣味として「憂鬱」をやっている

 ときおり僕は、メンヘラブロガー認定されてしまう。

 でも実際のところ、その時期に抱いてる感情をあえて極大化させて自己陶酔するのが好きなだけである。
 メランコリーな気分を逃がさず、自我のみに目線を向けて、自分を過剰に労ったり、痛めつけたりするのは、一種の快楽を生じさせる遊びなのだ。

 そもそも人間というのは、背徳的な行為を辞められない生き物である。
 賭け事、浮気、喧嘩、菓子、怠け、酒
 不健康は娯楽。

 つまり僕が口にする、「人生が詰んだ」「もうオワタ」「疲れ切った」という嘆き色の言葉は、絶望とはまったく別物である。
 不幸せを語っているその瞬間、自分でも驚くほど幸せだから。

 それゆえに僕は、進んで不幸せをデザインしている。

 幸せのために不幸せを着る
 幸せのために憂鬱な言葉を吐く
 幸せのために笑いながら病みを得る

「ピピピピピの爽やかな日記帳」にアンチが多いのは、僕の主張・感情が二転三転するせい

 4年前からはてなブログをやっているため、読者の種類、性質などについて分かるようになってきた。

 痛感したことの一つに、「危険なのは悪質なアンチではなく熱烈なファン」というものがある。

 僕の記事はどれも、過激で極端なものが多いからこそ、たまさか、悩み多き者の価値観と合致した際に、信者が生まれてしまうことが希にある。
 彼らが赤子のうちは、「尊敬しています」「天才ですね」という過ぎた褒め言葉満載のDMを送ってくれるのだが、それから数ヶ月くらいすると、「人間のクズが」に類する前置きのある宣戦布告、犯罪予告といった脅迫文が届いたりする。
 ファンのアンチ転化が起きるのである。

 理由は明確で、僕の主張・感情が二転三転するからだ。
 以前とは真逆の意見を平気で口にしたり、冗談と思わせて冗談じゃなかったり、本気と思わせて本気じゃなかったりする記事を乱発するから、そうした僕の浮遊ゴミ的な態度に嫌気が差し、次第に憎しみを持つようになるのだと思われる。

 このブログの記事はどれも、内面描写――弱音や愚痴、開き直りの連発で構成されているから、似たような人生観を持った人を引きずり込みやすくなっている。
 そういった蟻地獄に引っ掛かった読者が僕に対して、「ピピピは、こういう人なんだ。おれと同じだ……。仲間を見つけた」と親近感を持ったとしても、僕は彼らが考える「こういう人」ではない

 三日もあれば僕は、まったく正反対の発言を繰り出す。
 だからといって、演技したり嘘をついたりしている訳ではない。
 なぜなら、人生の状態や、自分自身の感情、将来についての雑感などは、見方によって別物になるからだ。
 視点、計画、思考法、に変化を加えただけなのである。

 もとより森羅万象の全てに、良い悪いの絶対的な決め付けは出来ないのだから、この世には嘘も本当もありはしないんだよね。
 ゆえに僕は、能動的にどっちつかずの態度を貫いているだけ。

 それが原因で大勢に嫌われようと、ファンがアンチになろうとどうでも良くて、僕は僕のやりたいことをやるだけだから、今後もこうしたなんでもありなスタンスは変えないつもりだ。

 他人が苛立とうと、すかを食おうと、批判してこようと、そんなものは一切考慮しない。

 今後も、強烈に駄々をこねるような記事を連投しようと思う。

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僕は書くのが大好きだけれど、向いてはいないという話

 心情を大袈裟に吐露したり、言葉をこねくり回すのが好きなだけで、文章を書くのが得意な訳じゃない。

 好きなことと、続けていることと、向いていることは違うなと思った。

 僕が好きなのは、文章ではなく、自己主張なのである。

 そのため、自分のキャラや自分の文体を打ち消して、必要な情報だけを届けるというような、ビジネスライクな書き方は出来ない。
 ピピピピピという「個」があるから文章を紡げるのであり、それがなくなって完全匿名になったら、パソコンを叩き壊すだろう。

 僕の文章はどれも、どうでも良い事柄を嫌みったらしく長々と語ることで、熱意や説得力があるかのように錯覚させる、乱暴、強引なものが多い。
 嫌われやすく、儲けの薄い、露悪趣味な長文記事。
 そんなものを連投する人は少ないから、そうしたジャンルの中で勝負する限り、僕は目立ちやすい。
 その上、マイナスにしかならない状況にも関わらず、危険を顧みずに顔出しをしているから、動物園の珍獣を見に来る野次馬ブックマーカーがたくさんいることで、僕の記事は定期的にバズりやすくなっている。

 なんにせよ、こうやって普通じゃない状態を、大した利益がないにも関わらず保ち続けている異常者というのは、他者から注目される。
 ニコ生のいかれた無職が、様々な人から支援されて暮らせるのも、彼らが異常者だからこそだ。
 僕がもしも、純粋に文章を書くのが得意だったならば、方向性はまるで違っただろう。

 こんな風に損得抜きの長文を産み落としてしまうのは、僕が文章ではなく自己主張が好きなゆえんである。

雑記・読んだ本

やってのける

やってのける

 

日常的な些細な行動でも、多くのエネルギーが消費されていることがわかっています

 こう書いてあるが、人が疲れてしまうのは、不用意に気を配り過ぎだからなのだ。

 幸せに生きている人ほど適当な性格をしている。
 ここでいう適当というのは、約束を守れなかったり、社会生活を舐めているパーソナリティーの持ち主という訳ではなく、自分と周囲の人を幸せにするために、真剣に考えるべきところと、どうでも良いところを、しっかり切り分けて考えながら生きているという意味になる。

適当な人ほど真面目」という言葉を誰かが口にしていたのを聞いたことがあるのだけれど、これは一見矛盾しているようだけれど、心のエネルギーが有限であることを鑑みれば正鵠を射た発言であるなと思う。

「みんなに好かれたい」という考えを持つと、逆にみんなに嫌われることになってしまいがちなのは、あらゆる方向に対してエネルギーを注ぎ込んでしまうから疲れ切ってしまい、その結果、約束を守れなくなったり、空気を読めなくなったりして、他人に疎ましく思われてしまうためだ。

 良く耳にする話として、「なんであんな性格の悪い奴が、誰にも迷惑を掛けないように頑張っている私よりも好かれるの? 不公平!」と憤りを感じている人がいるけれど、それは当たり前。

 無駄なエネルギーを消費しなければ、周りの人々に適切なタイミングで優しさを提供するための余力が残る。
 反対に憤りを感じて怒り散らしていれば、疲弊してしまい、本来の優しさを発揮出来なくなる。

 つまり、自己管理こそが他者への優しさに繋がっている。

 誰かを愛するためには、どこかの場所では冷めていなければならない。
 ある場所で性格が悪く見える人も、別な場所では性格が良いんだよね。
 みんなに優しくしようとして、それを実現出来るのは、体力に恵まれた者だけ。

 それゆえに、「性格」だとか「人格」だとかいうパワーワードを振り回して、人のレベルを決めつけている人は、この辺の情状を酌量していないというか、気付いてすらいない可能性が極めて高いから、頭も性格も悪いことは疑いようのない事実だろう。

 そうならないためにも、「遠くの他人について考えすぎないというのも善行の一つ」であることを知って、お気楽かつ鈍感に人生を生きよう。

人生が詰んでいて精神的に疲れたので、ブログを休止します

ブログ論

30歳底辺の衰退し続ける日常について

 メンヘラ記事を書くつもりはなく、客観的に考えた上での話なんだけれど、ここから落ちる一方の人生で、この先、疲労困憊しか待っていないから、そろそろ人生を降りたくなって来た。

 とはいっても、なんやかんや寿命を真っ当することにはなるだろうから、そんなことを考えるだけ無駄なのだが、これからの未来できっと、自分の何も出来なさに失望して、痛みを感じる日常がいじめっ子のように待っているのかと思うと、夜寝て朝起きるこの連続に耐えられなくなり、発狂するように思考し、文章を書いてしまう

 無気力感というか、このまま日陰でじめじめと暮らしていても実りがない気がする。

 正直なところ、親の会社で働いていること、親と頻繁に接することで、過去のイザコザの歴史を思い出してしまうため、ひたすらに苦痛であり、かといって、30歳間近で低学歴・資格免許技能なしという底辺履歴書を書いたところで、まともな会社は雇ってくれない。

 絶望しながら今を生き続けて、いつか壊れて、より悲惨な明日が待っているのかと思うと、尻すぼみな人生ゲームにうんざりしてしまう。
 人生にも自分にも思い入れがないから、無味乾燥な春夏秋冬を、ゴミ箱にクズが滑り落ちるように数十回過ごし、「予想通り失敗でした。感想は……ないです……」という言葉を残して最期を迎えるであろうことが、予測出来る。

 こういうことを書くと、病んでいるように思われるかもしれないけれど、そんなこと全くなくて、どこまでも爽やかな気分だ
 たぶん、完全に、人生を、捨てるように生きてゆくモードに入っているからだろう。

 それと自分が悪くて落ちぶれたことはまず間違いなく、「社会のせいだ」というような責任転嫁式の悪感情が出現しないため、自己破滅的に開き直っているからこそ、疲れながらも開放感があって、今ここに存在しないかのような浮遊感がある。

ネットで承認だけを食べ散らかして飢えを凌ぐ日々

 どうしてわざわざこんな記事を投入するのかというと、風邪を引いたときにくしゃみが出るのと似たり寄ったりなもので、鬱憤を吐き散らすことによって救われたいという心的なメカニズムが稼働したためである。

 そして、かまってちゃん気質ゆえに、一人でも多くの人々に、「かわいそう」「無理しないで下さいね」「ゆっくりして下さい」という慈愛に溢れた言葉を手に入れようとする、疲弊した者にありがちな、楽して楽になろうとするお得意の狡猾さが肥大化したからだ。

 同情を買うことで心を安定させる、不健康な精神的食事。

 まず一つ言えることは、頑張り屋だから疲れたのではなく、怠惰屋だからすぐになんらかの結果を出したいと思って短期的に頑張り、そうした忍耐力のなさゆえに、無理がたたって疲れてしまう訳だから、そうやって休んでいる期間を合算すると、頑張り屋でも怠惰屋でもない、ごくごく普通の人々よりずっとサボっていることになり、つまり僕は、単なる疲労困憊した落伍者であり、ただそれだけの話なのだ。

「性格が良いから病むんだよ、気にしないで」というメッセージをしてくれる人もいるのだが、そもそも性格や道徳感情というのは、常時固定されたものでなく、その人の置かれた環境や状況によって変動するものであり、余裕のなさは往々にして、蓄積したストレスを発散するために攻撃衝動や破滅願望、妬み嫉みへと繋がりやすいことを鑑みると、逆に性格が悪いから、病みが止まらないという結論に達する

 また、人間社会で生きる以上、しがらみに縛られるものだから、人々はありのままの性格を表に出せることはなく、ゆえに外部から評価される性格の善し悪しなどというものは、所詮、複合的な紛い物の産物に過ぎない。

 仮に、心奥に優しさが浮いているのだとしても、誰かに向けて発射されない優しさなど、個人の空想、妄想、感想の域を出ない。

頑張れないから病む 忍耐力がないから病む 嫉妬に囚われるから病む

 人間的な劣りこそが、憂鬱を呼び込む誘い水であることは、経験観測的にいって間違いない。

 そのため、「メンヘラに3億円を手渡せばすぐさま元気になる」という話が飛び交う訳で、僕のように品質の悪い人間は、上級な存在が、努力と能力によってやっと勝ち取るような報酬、景色、賞賛を一瞬で得ると、劣等意識がぱっと忘失するために、打って変わって陽気になるのだ。

 つまるところ3億円というのは、低次元な自分を忘却してくれる、秘密兵器なのである。

 無論、それだけの金を手にした後でも、ひょんなことから自分の悪性部分を想起してしまい、病みが再発することも考えられるが、そうなったとしても、「一般大衆よりもわたしは幸運だ。3億円も手に入れたのだから。わたしは嫉妬される対象。気持ちが良い。嫉まれるってこんな快適な気分だったのね。優越感こそが幸せの厳選なのよ!」と思い込みやすいから、ぐちぐち悩むのではなく、尊大な態度で我を忘れられるため、持たぬ者だった頃よりは、遙かに晴れた心で生きられる。

 そうやって病みを克服した気になった者は、痛みを思い出さないようにするため、自己正当化を繰り返すため、端から見ると性格の悪い存在と捉えられやすくなり、いつの日か孤立するリスクが高く、金持ち友達おらずの状態になり、結局は不幸に陥りやすいと思われる。

人は疲れが蓄積すると無気力になり、退屈を感じ始め、過激思想を持ち始める可能性がある

 退屈という空白な日常に耐えられないからこそ、どんなバカであっても、論理的に自分の絶望感や虚脱感、寂莫感、疎外感に深い理由付けをしようと務めるようになってゆく。

 極端な例を出せば、テロ組織ISなんかは、なぜあんなにもまとまれるのかというと、単なる精神錯乱者の集団ではなく、一人一人が、論理的に己の悲惨さを考え抜き、確固たる怒りと言う名の答えを所有しているからだ。

 論理がそこにあるから、屈強な理念を共有し合い、手を取り合うことが出来る。

 もしもあいつらが、単なる異常者であれば、個々人が街中で暴れるだけで終わるはずだし、集団化することは不可能になる。

 なぜこんな荒いたとえ話を出したかといえば、ISみたいな非人道的組織でなしにしても、人は自分の人生に嫌気が差し、それについて考える退屈な時間を持ちすぎると、少しずつ壊れてゆき、自分あるいは他人を傷付ける危険な生命に成り下がるのだと確信したからだ。

 一人一人の人間には大きな変わりはない。大きく違うのはその人を取り巻く、環境や状況だけである。
 性格が悪いから人生や道徳や自分が壊れてゆくのではなく、頭と運が悪いからこそ、落ちぶれ、余裕がなくなり、全身全霊で嘆いている内に、その姿を見た人々に、「性格が悪い、素行が悪い」と断定されてしまい、他人が押し付けた印象そのままに生きるようになり、予言の自己成就的に、厄介な存在となる訳だ。

 人生に充実した者であれ、突発的かつ短期的な性格の悪さを発揮することがある。
 対照的に人生に悲観した者は、継続的な性格の悪さを持ちやすい

 それは嫉妬、ルサンチマンであったり、不甲斐ない己を忘れようとするための暴動であったりする訳で、根深い復讐心のようなものが腹の底でひしめいているのが原因だから、よっぽどのことがなければ、その病みは完治しない。

 人生に疲れ切った者は、心中から悪感情を外へと捻り出す名人だ。

 人生を楽しんでいる人だって、心ない発言をして人を傷付けるようなこともある訳だが、人生を楽しめていない人は、心ある悪意の発言をする
 自分が悪いことも認めた上で、つまり開き直ったように怒りを吐き散らすということだ。
 思いやりの大切さも知っている、人を傷付けちゃいけないことも知っている。
 しかしながら己に降りかかる痛みの量が過大であるがゆえに、自分をセーブ出来なくなるから、心ある状態で道徳や常識を突破し、圧力を伴った悪意を社会に叩きつける。

 人間、一度壊れると、二度壊れ三度壊れ、取り返しが付かなくなる。
 崩れゆく日々の中、何を希望にして生きたら良いんだろう?
 暴走4トントラックか。

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雑記・弱者男性は、若くて可愛い子と付き合ってはならないという話

 戒めの意味で書いておく。

 弱者男性にはやはり、ババア以上ドブス未満、くらいの相手がお似合いなのかもしれない。
 余っているブスやババアであれば、彼女たちの心の中に寂莫感が存在する可能性が高いから、一緒に遊ぶだけでも、幸せにしてあげやすいし、それは徳の高い行動といえる。
 スタイルの良いブスは売れやすいことを考えると、ぽっちゃり以上のブスか、ありきたりなババアという、二者択一

 辛いな。

 ババアの中にも素敵な子がいるのだけれど、そういうババアはキャリアウーマンだったりして大金を稼いでいるから、マネーがババアという成分の持つダークなパワーを低下させるため、若くてかわいい子に等しい魅力を放ち、余裕でモデル顔負けのイケメンを飼ったり出来る訳だから、そういうババアには弱者男性と付き合うメリットは皆無ということになる。

 そう考えると、デブスかへなへなのババアしか残されちゃいない。

 辛いな。

 僕は別に良心的な人間ではないんだけれど、さすがに長時間、弱者のオーラを浴びせかけて、綺麗な花を枯れさせるようなことをするのは悪いなと思ってしまう。

「かわいい」は、消費期限のある貴重な武器だから、それがあればいくらでも、ハンサムでタフガイで若くて金持ちで性格も良くて男らしいという、強者男性と付き合える訳だ。
 それなのに、僕みたいな弱者男性が洗脳するように、喋りの技術などでもって誘導し、交際をスタートしてしまうと、人生における貴重なチャンスを女の子から奪い取ってしまうことになる。

 相手の女の子が性格的に優れている、良い子であればあるほど、かわいそうだし、一回のデートすら付き合わせるのが悪いなと思えてきてしまう。
 可愛い子が、僕みたいな弱者男性と遊ぶっていうのは、買ったばかりのお洒落な洋服を着てドブの沼にダイブするようなもの

「弱者」って感染力が強いから、一緒にいるとその子まで堕落したり、運が悪くなって、没落者になってしまいかねない。

 世の中には、「そんなことないよ。恋は損得勘定じゃない」なんていう話があるけれど、実際問題、若い時間は有限であるし、女の子の外面的な消費期限はとてつもなく短いから、少々は考えてあげないと、かわいそうだと思う。

 かわいいの搾取は良くない。

雑記2・読んだ本

病的に自分が好きな人 (幻冬舎新書)

病的に自分が好きな人 (幻冬舎新書)

 

なぜ根拠のない自信がもてたり、非現実的な夢がもてたりするのだろうか。それは、自己愛が強すぎるために自分を見る目や現実を見る目が曇っているからだ。自分がかわいすぎて、実際よりもはるかにかっこよく見えていたり、有能に見えていたりする。いわば、自己認識や現実認識ができないのだ。

 と書いている訳だが、ヘラることを生業とし、他人からの注目という精神的な金儲けをすることで生き延びる病んだ者が、僕も含めて千万無量にいる訳だが、なぜこうも病弱な繰り返しの日々に甘んじるのかといえば、強大な自己愛が膨らんでしまい、正常な計画、努力による着実な進歩が出来なくなることで、今すぐ心に利益を運び入れたいという、どこまでも他力本願な思考に頼ってしまうからだ。

 病むというのは、究極最大の堕落症状、自己陶酔。
 この世から消えたくなるのは、これ以上、かわいい自分が落ちぶれる姿を見たくないからであるし、人に嫉妬するのは、本来の自分はもっと高い位置にいてしかるべしというナルシスティックな考えを持っているためである

 自分が大好き、すなわち自己中心的。
 意識が常に自己へと注がれているから、絶望感や疎外感を直視してしまい、病みが深まってゆく。

 このように意識が極端に、自分に向きすぎていると、社会や他人を憎悪し、「あいつは性格が悪い」と思ってしまう相手が増え、敵を増やす人生を送りやすくなる。

 性格というのは何かと言えば、自我の働きのことだ。

 自分の持つアイデンティティが、他人の持つアイデンティティとぶつかった際に、食い違いが生じて、「あれ? 違和感、なんか好きじゃないな」となったときに相手のことを性格が悪いと判断しやすい。

 人は、相手の心情を完璧に読み取ることは不可能だから、感覚で判断するしかない。
 だから自我の安定していない人は、「他者になんだろうこの人……」という違和感を与えてしまいがちなため、性格が悪いと思われやすい。
 しかしながら、病んでいる人が、「性格は良いよ。素直だから病むんだよ」とフォローされやすいのは、そこに同情という機能が働いているから。

 諸事情を抜きにして考えたら、自我の安定していない人は厄介者、つまり性格の悪い人と判断されてしまうものである。

 自己認識と現実認識のズレは、こうやって全てを歪ませる。

 人間精神というこわれもの。取扱注意。

 という訳で少しの期間休みます。
 疲れが長引いたら3週間くらい休むかもしれないです(๑¯Δ¯๑)/っっ!!!!!

25歳まで非モテだった僕が、500人超えの女子と遊ぶため実践した行動一覧 彼女獲得ライフハック

自己主張

※中程に、顔出しお喋り動画を掲載しています。

 こんにちわ。突然ですが、「毎日が新しい人生。日々生まれ変わる」と思って生きるのが大切だと思いませんか?
 つまり朝起きる度に、彼女いない歴=年齢になる男子ことピピピピピです。

 そのため、つい先日は下記の記事と動画を投稿しました。

pipipipipi-www.hatenablog.com


彼女いない歴=年齢かつ四捨五入「童貞」である僕の、悲惨な恋愛ぶっちゃけ話

 こんな風に必要に応じて非モテにもなれば、プレイボーイにもなるという、人間カメレオンの生き様こそが、恋愛競技場の覇者になるために必要なのです。
 大事なのは、真面目を気取ることではなく、女の子たちと幸せを分かち合うことなのでございます。
 細かいことをぐちぐち考えていると、恋愛も人生も来世も楽しめません。
 どんどん遊び狂いましょう。

遊んでくれた女の子の種類

 広告代理店、歯科医、医療事務、生保営業、経理、事務、看護師、薬剤師、保育士、介護士、秘書、芸人、役者、塾講師、飲食店、マルチ商法、クラブDJ、WEBデザイナー、コールセンター、ウェディング、ホテルスタッフ、ケアマネージャー、エステティシャン、ニート、大学生、専門学生

 年齢は、18~44歳であり、どうしてか28歳の子と遊ぶ機会が最も多く、次いで20歳前後が多かった。

 出会いの接点は、職場、紹介、飲み会、ナンパ、ホスト、チャット

 それと少々、芸人養成所に通っていたり、遊び程度にお笑いライブに出演していたことがあるから、そうした方面で、可愛いけれどつまらない子や、美人だけれど大根演技の子などとも遊ぶことが出来た。

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(これらの他にも100枚以上保存してあるが、もう疎遠になっている女子のプリクラを掲載するのは良心的にあれだから、この三人分だけに限定した。こうやって物理的に距離を近づけて撮影することによって、精神的にも接近出来る効果がある。「良い大人だから……」と遠ざかるのではなく、良い大人だからこそ、密着してポーズを取り合い、恋愛を効率的かつ楽しく進展させよう

記事を読むのが面倒な人のために、お喋り動画をアップした


25歳まで非モテだった僕が、500人超えの女子と遊ぶため実践した具体的な方法について

 冒頭の4分くらいは、最近投下したブログ記事について語っている。
 3分47秒から、ナンパの話。
 9分54秒から、好きな女の子のタイプについて。
 今回は舌の回りが悪かったのに加えて、バックミュージックがうるさい。

「相手を傷付けない、楽しませる」の2点さえ意識すれば、全ては許される

 良くある勘違いとして、真面目に、誠実に、生きていれば彼女が出来るというものがある訳だが、そんなものは自己満足の所業でしかなく、なんの価値もない。
 そんな最底辺かつ最低限のスキルは、よっぽど社会常識を欠いたぼんくらを除けば、誰もが持ち合わせている。

 2015年の国税調査では、『15歳以上の未婚男性と未婚女性の差分を見ると、なんと341万人も男が多い*1』という結果が出ているように、女の子は有限な冨だから、激しい獲得競争が生じるのであり、なんの面白みもない男は弾かれてしかるべし

 あなたは金持ち? 高身長? 有名人? お洒落? 高学歴? 強メンタル? 博識? コミュ強? イケメン? イケボ? 笑いのセンスあり?

 上記のどれかのように、一つでも極め抜かれた長所がある、もしくは、仕事柄、次々と新しい女の子に出会うのであれば、努力なくして、恋人だったり、運命の結婚相手を見つけられるかもしれない。

 対照的に、出会いの少ない生き方をしている凡人以下の男は、時間と金を投資して、女を獲得するというハンターじみた活動を継続しなければ、永久に一人になってしまう。

 この僕自身も、25歳ではじめての彼女が出来るまでは、努力の方向性がまったく定まらず、一体全体何をどうすれば恋愛がスタートするのかてんで分からなかった。

 ということで今回は、僕が25歳からの数年間で、500人以上の女の子とデートをして、数十人の女の子と付き合い(途中から告白が皆無になったから正式な恋愛の回数は不明)、幸せになるまでに行ってきたことを、ざっとまとめておく。

チケット制の役者スクールに通う

 覇気のある声を出せなければ、好印象を与えることも、笑いを取ることも困難になる。

 東京在住であれば、マンツーマンで基礎の基礎、発声のレベルから徹底指導してくれる演技教室がいくつかある。

 それと並行して、『拙者親方と申すは、お立ち会いの中に、 御存知のお方も御座りましょうが――』という、声優やアナウンサー、芸人などが滑舌を鍛え上げるために使用する、「外郎売り」というテキストをネットで入手出来るから、それをプリントアウトして、カラオケで口を大きく動かして、一語一句を全力で吐き出す訓練をしよう。

 良い声というのは、一朝一夕には完成しない。

 スクールの料金は場所にもよるが、60分のチケットが4枚ついて、1万円くらい。
 ちなみに、たまにしか練習しないのであれば、効果は極めて薄く、逆に失望の原因になってしまうため、お遊び、気休めとしてやるくらいなら、最初から手を付けないことをオススメする。

スピーチを学ぶスクールに通う

 目だけで女を口説くような超絶イケメンを省けば、一般人にとっての恋愛は、対話によって成り立っている
 他人との交流、自分のキャラを躊躇うことなく主張、こうしたスキルを育成するのに、スピーチスクールは一役買ってくれる。
 3ヶ月で5万円くらいする訳だが、週に1回、数十人の他人と、学校のような狭い空間で共同作業をするという貴重な機会を得られて、コミュ力が強化されることを考えれば、安上がりだ。
 余談だが、僕が通っていた頃は、東大、慶応、早稲田など、一流の大学を出た向上心の凄まじい人間や、起業家などもいた。
 同じ空間を共有するから、恋愛して、結婚まで進む者までいて、人間ドラマの過程を目の当たりに出来るため、本来の目的以上の成果、勉強が出来る。
 人と会うということは、棚からぼた餅を降らすようなもので、予測不可能な知識、経験を得られるというメリットがある。

『松本人志の放送室』というラジオ番組を聴いて、話の組み立てを盗む

 MP3プレイヤーに入れておいて、ありとあらゆる場所でずっと聴き続けて、話術のインプットをする。

 松本人志は、「ボケ、ツッコミ、三段オチ、演技、毒舌、相づち、誘い笑い、間」など全ての技術レベルが度を超えていて、語彙も豊富、たとえ話も逸脱であり、べしゃりの教材として最適であると思われる。

 もちろん、松本人志という教科書で学習したからといって、モロにパクるだけでは寒い素人の典型になってしまうから、自分のキャラクターに適したものを抽出して、上手いこと揉み込んで自分のものとする。

ホストの体験入店に行く

 僕は各所各地で、100店舗近く体入したことがある。
 というよりか、若い頃にとある店で、売れないプレイヤーとして働いていた。

 体入の拘束時間は5時間ほどで、日給は2000~8000円くらいであった。
 今も相場はそこまで変わっていなく、5000円は支給してくれるお店が多い。

 非モテ脱出トレーニングとして最適。
 居心地の悪い空間で、女扱いに長けた男たちの働きぶりを見ながら、厄介な女を接客するという、無料レッスン。

 はじめて入店する者なら、耳が痛むくらいにクラブミュージックが鳴り響いているから、否が応でも声を張り上げなくてはならないし、全身全霊で耳を傾けなければ、会話がままならない。
 その上、タバコにライターで火を付けたり、高速でおしぼりを三角折りしてグラスを拭いたり、「ぐいぐいぐいぐいぐいぐいよしこい!」みたいな一気コールをタイミング良くしなくてはならなかったりと、強制的に慌ただしく動かなくてはならないから、どんなKYでも気付けばコミュ強に近付く。

 体入の流れは、入店→店長と面接→取りあえずの源氏名を決める→テーブルマナーやハンドサイン講習→全ホストの前で、「体験入店させて頂く○○です」と自己紹介→先輩ホストの席についてヘルプ(3~10回くらい)→体入費を貰ってさようなら。

 慣れないうちはどっと疲れるだろうが、ホストクラブというのは、コミュ力養成機関として非常に優秀だ。
 絶えず、緊張を強いられる場所で女の子と接し続けていると、プライベートでも自信を漲らせて生きられるようになる。
 この僕も、ホストを引退してからの一年くらいは、その効力が続いていたおかげか、仕事先のギャルなどからデートに誘われる機会が、いくらかはあった。
 働く前は、皆無だったのに。

あらゆるお店でハキハキとお礼を口にする

「すいません」「ありがとうございます」「助かります」「レシート入らないです」「割り箸もう一本貰えますか?」といった言葉を、コンビニやスーパーなどで放つ習慣を身につけることで、初対面の女の子とコミュニケーションを図る練習にもなる。
 内向的にならず、想いを伝えるという軽い修行。

即興フリートークの練習をする

 あ~わ行の、お題を作り、目をつぶって、物事を想像しながら直感的かつ適当に喋る鍛錬。
 あ→愛情、秋
 い→井戸、椅子
 う→馬、宇宙
 このように、何らかのテーマを用意しておいて、一つにつき5~10分くらい、一切の間を開けずに喋り続ける。

 ICレコーダーやスマホの録音機能を使って、必ず、自分の喋りを後で聴こう。
 すると、「ここは悪くないな」という部分が見つかってくるから、そうしたら今度はその良かった部分を意識しながら、別なテーマでマシンガントークする。
 喋る、聞く、の試行錯誤。

 最初は、のべつ幕無しに言葉を放っていると、支離滅裂になったり、言葉に詰まる訳だが、継続している内に、話ながらの軌道修正が可能になってくる。

 なにより、自分でも思い掛けないワードが口から零れ、それを元に新しい発想をすることになるから、これはもはや会話に等しいため、長らく続けていると、気付けばコミュニケーション力が増強されている。

 こうした地道なリハーサルを延々とこなすことで、デートにおいて本領を発揮出来るようになる。
 女の子を笑わせたり、楽しませられる人は、高確率で、このように言語操作の前準備をしているものなのだ。
 頭の中に映像を展開させて、それを実況する感覚で喋る習慣を身につけておけば、女の子の話をじっくり聞く際にも、共感が容易になるため、効果抜群の返答をしやすくなる

流行りの映画やアニメを倍速視聴して、ネタ収集する

 LINEのタイムラインだったり、日常会話で、前情報として女の子の趣味嗜好をいくらかは取得出来ることが多いものだ。

 たとえば、邦画の恋愛作品が好きだと分かったならば、ツタヤなどで10本くらいDVDを借りてきて、感動ポイントのみ本気で観る
 そして、「○○という作品の、確か、○○が○○して○○するようなシーンがめっちゃ感動した。流れが綺麗だった」というように、こじつけても良いから、自分がその作品を心底愛しているかのような感想を口にしておく。
 雑にでも頭にインプットしておけば、デート中に女の子の気分を盛り上げられる、共通の趣味的トークが出来る可能性が、少なかれ増す。

 話の導入をする際には、「かなり前に観たから、記憶が曖昧なんだけれど……」などと言っておけば、誤った情報を口にしても、問題ない。
 むしろ、女の子が補足してくれたり、「あー、すごい、観たんだー!」というように、ペラペラと語りはじめるから、そうなったら、あとは、「うんうん、あーあー! あのシーンね。思い出した。あったね、そんなシーン!」と、あたかも今、記憶がしっかり再生されていますかのように、ハイテンションで相づちさえ打っておけば、完璧。

 デートにおけるトークというのは、女の子が楽しそうに喋り出せば、それだけで100点に近いから、男側は、話を展開しやすい材料を与えるだけで十分なのだ。
 そのため浅く広くコンテンツを消化して、脳髄に、投げ込めるネタを大量保存しておくのが大切。

 信念を持って、熱く深く語るのは、仕事の話のみで良い。

女の子の特徴は、全てスマホのメモに保存しておく

 ありさちゃん。
 年齢23歳。淡い茶髪。実家暮らし。アニメ好き(一番の好みはヘタリア)。ミニチュアシュナウザーを飼っている。高校時代はバトミントンをやっていた。

 というように、誤字脱字だらけで構わないから記録しておくことで、髪を切ってきた来たときに褒めたり、ヘタリアの雰囲気に近いアニメがやっている時期なら、「○○とかも好き?」みたいに意味を持った質問が出来る。

 相手から聞き出したプライベートな情報を、後日、全て高速で言い当ててしまうのは微妙なので、「たしか……、ミニチュアダックスフンド……? 違うかシュナウザーだっけ? それ飼ってるんだよね」などと、曖昧に口にする。
 こうすると、「記録ではなく、記憶から引き出してくれたわ!」と思って貰いやすい。

 更にメモを強化したい場合は、こちらが前回、放った話題も書き留めておくことをオススメする。
 お笑いライブをしょっちゅう観に行っていた! 妹がいる! などと。
 感嘆符がついたものは自分の発言、とあらかじめ決めておくと、管理が楽。

 複数人と遊んでいる時期だと、誰が誰だか分からなくなったり、名前すら思い出せないという事態に直面して、間違えてプリクラ撮影時に違う子のあだ名を書いて、慌てて消すなんてことがあるから、それを防ぐためにも、メモの見直しは必須。

ストリートでナンパを行う

 ネット上には、いくつもナンパ論が転がっているが、そんなもので勉強する必要はない。

「立ち止まらないこと」「嫌そうな顔をされたらすぐ離れること」「斜め後ろから近付いて隣を取り、軽く自然に話しかけること」

 これだけ意識すれば十分。

 常に早歩きで動き回ることが重要であり、こうすることでアドレナリンや男性ホルモンであるテストステロンが分泌して、不安や緊張が消失してゆき、怖じ気づいて立ち尽くす「地蔵」という状態にならずに済む。

 そして、ナンパをする際には、ナンパをしてはならない。

 どういうことかというと、女の子と仲良くすることを第一目的にするのではなく、ウォーキングをして健康増進を図るついでに、たまたま声を掛けただけです、というような、「ついでの感覚」を持つのが大事なのだ。
 イケメンだったり、トーク力最強チャラ男であれば話は別だが、取るに足らない普通の男子は、必死にならないことがなにより重要。

 ナンパは健康的無料ガチャであり、ナンパはアンチエイジングである。

 そう考えれば、継続しやすく、いつか成功する。

 ストリートでウォーキングしよう。
 そのついでに挨拶をしよう。

世の中は優しい女の子で溢れている

 僕のように、元4年引きこもりで、あがり症で、低身長で、仕事が出来なくて、車の免許もなくて、資格もなくて、学歴もなくて、お金もなくて、ブログばかり書いていて……

 こんな風に人生が詰んでいる、底辺のしょうもない男であっても、思った以上に、相手にしてくれる女の子はごろごろといる。

 彼女たちのストライクゾーンは、この銀河系よりも広い。
 たとえ僕が、禿げても、破算しても、ネカフェ難民になっても、きっとどこかの可愛い子が手を差し伸べてくれる。
 僕くらい堕落した人間だと、これから落ちぶれる一方だが、だからこそ救いの天使が現れる。

 ありがとう、母性本能。

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雑記・読んだ本

フロー体験入門―楽しみと創造の心理学

フロー体験入門―楽しみと創造の心理学

 

 この本は、ナンパ師がよく読んでいる本

 数千人単位で声掛けして来た過去のある人だと、ストリートを彷徨っているときの、独特の高揚感、全能感、「あ、これは確実に成功するな」という直感力が研ぎ澄まれてゆく感覚を体験したことが、99%あるものだから、そうした極限の集中状態、フロー体験について書かれたこの本は、ナンパ師と親和性があるため、ハマらずにはいられないのである。

 フロー現象を構成する主要な要素は、下記の八つと説明されている。

『達成できる見通しのある課題』『自分のしていることに集中できていなければならない』『行われている作業に明確な目標があり』『直接的なフィードバックがある』『無理のない没入状態で行為している』『自分の行為を統制しているという感覚をともなう』『自己についての意識は消失するが、これに反してフロー体験の後では自己感覚はより強く現れる』『時間の経過の感覚が変わる』

 僕は意識的にフロー状態に突入出来るように、これらをスマホの付箋に書いて、電車内で暗唱したりしていた

 自己感覚を失うくらいに街と溶け込んだ状態になると、この地球上の人類、全員からバンゲ(連絡先交換)出来るんじゃないかというくらいにバイブスが高まり、次々にLINEのIDを手に入れられたり、連れ出し(話しかけて数分でご飯を食べたりすること)が達成出来る。

 フロー体験というのは、ナンパ師のために存在するのだ。

*1:茨城県が1位!「ニッポン男余り現象」の正体 | ソロモンの時代―結婚しない人々の実像― | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

彼女いない歴=年齢かつ四捨五入「童貞」である僕の、悲惨な恋愛ぶっちゃけ話 30歳間近の無能系草食男子が語る本音

自己主張

※中程に、顔出しお喋り動画を掲載しています。

自尊心の切り売り的な記事は、精神がすり減るのでこれを最後とする

もうすぐ30歳なんですが、一度も付き合ったことがないってヤバいですか? ちなみに友だちに頼まれて書いています」という質問文を、ヤフー知恵袋に投稿したり、グーグルの検索窓に、「彼女いない歴=年齢 普通」などと打ち込む毎日を送っている、負け犬ことピピピです。

 プライベートな部分を赤裸々に語った後に身バレしてしまったら、実生活が途端に辛くなるので、気をつけています。

彼女いない歴=年齢であることがバレないように、細心の注意を払って生きてきた

 リアル界で遭遇する人々の前では、「19歳で初めて彼女が出来ました。県別無料チャットで知り合った子です」というねつ造した過去をお披露目することによって、女の子と付き合ったことがない事実を隠蔽している。

 飛び道具として、ただの知り合いと撮影したプリクラを懐に忍ばせてあるし、『嘘も100回つけば真実』という言葉通り、ペテンが板に付いて来たから、強がりではなしに非モテ視されることはなくなった。

 そのため今の今になって、後ろめたい汚点が白日の下に晒され、僕の実相を知ってしまう知人が現れ始めると、恥ずかしくて街中を歩けなくなる。

 しかしながら、こんなにまでも、虫けら以下の存在として負のレベルが上昇すると、破滅願望がすくすくと育ってしまうため、涼しい顔でおのずからサンドバッグに変成してしまい、バラエティ豊かな暴行を受けることで、「あぁ、真実。これぞ、リアリティ」という喜びが浮上するのだ。

 というのも僕は、常日頃から、彼女いない歴=年齢にも関わらず、モテ男であるかのように自己錯覚、他者洗脳を施し、虚言によって築かれた、居心地の悪い幻想の城に居座っているため、たとえ貶されようとも、嘘偽りのない自分の相手をして貰えることに、この上ない幸福を感じずにはいられないのである。

 破滅という最上の喜び。

数年間、女の子と遊んでいない 現実逃避の毎日

 闇夜の経験は4回のみ。四捨五入すれば未経験も同じ。

 クリスマスイブやバレンタインなど、恋愛カラーの強烈なイベント日は、前前前日から一睡もしないようにしておいて、当日24時間ぶっ続けで寝るようなことをしている。

 そうすれば、嫉妬や寂しさの感情を抱かずに済むからだ。

 

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 こちらは遠い昔、好きな子に告白してフラれた後、物思いに沈みながらやりとりしたメール。

 僕は大学を中退して以降、長きに渡って引きこもりニートだったから、人間社会におけるコミュニケーションの取り方、戦略的な距離の縮め方が身についていない。
 つまり、恋愛的に詰んだ状態。

 どうしようもない負け犬ゆえに、このブログ上で、上から目線の男女論を遠吠えのように投稿することで憂さ晴らしをし、日々、じめじめとクソムシのごとく陰気に生きて来た。

 サナダムシに寄生された犬畜生のごとく。

 

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 この画像は、スマートフォンの電話帳とラインの友だちリストなのだが、見れば分かるとおり、一桁しか登録されていない。

 僕は、病的に付き合いが苦手なのと、昔、人生に疲れたときにスマホを初期化してしまったため、東京にいる親友と家族の連絡先しか知らない

 はてなブログやツイッターにおいて、僕より連絡先の登録が少ない人は、そうそういないと思われる。
 もはや、スマホの所有に意味を感じなくなって来たから、解約も検討中。

 

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 リアル世界にどかっと腰を下ろして、手厳しい実情を目の当たりにしてしまうと、心が疲弊してしまうため、上記のように毎月、50冊以上マンガを購入して、架空の世界に逃避している。

 ちなみに左端の布はカーテンであり、マンガは本棚の頂上に置くと決めている。
 この他にも、新作などはアマゾンにてキンドル本を、月に数十冊購入しているから、妄想世界に逃げ込む準備に抜かりなし。

記事を読むのが面倒な人のために、お喋り動画をアップした


彼女いない歴=年齢かつ四捨五入「童貞」である僕の、悲惨な恋愛ぶっちゃけ話

僕が非モテである理由は、低スペックなのと性格が歪んでいるから

 低学歴、低収入、低身長、低脳、低諸々

 大学は一週間で中退したし、親の会社で脳天気に働いているけれど、社内預金として給料の大半は没収されるから貧民だし、身長も167cmだから藤田ニコルと一緒だし、学生時代に教科書をまともに開いた記憶がないから頭も悪い。

 売り物にならないポンコツ。事実、誰からも相手にされなかった。

 親の経営する会社は専門性が強く、その道40年のプロフェッショナルな父親を頼っているクライアントが大多数だから、僕が引き継いだところで継続は困難。
 恋愛だけじゃなく、人生丸ごと真っ暗。

 それでも、社内預金と遺産などのあれこれによって、一生涯、食う寝る住むに困らない、細く長く生き延びられる環境は作ってくれる。
 すなわち親による強制貯金はイジワルなんかではなく、僕は過去に三桁の借金を背負ったり、家賃を支払わずに夜逃げしたりしたこともあるから、今のうちに自制心を鍛え、未来のために蓄えておくという二種の目的があるのだ。

 人生の中にいくらでも浮上するチャンスがあったのに、「面倒」「疲れた」「まだ休みたい」という理由で、勝負から背を向けて生きてきた自分の愚かさのせいで、こうなってしまった。
 他の誰の責任でもない、出会いが少なかった訳でもない、全て自分が悪いという、言い訳不可能な状態、四面楚歌、絶体絶命。

 早いとこ輪廻転生したい。

 人生に対して無気力になってきた。毎日、犬を抱っこして慰めて貰っている。
 布団の中、夢の中、意識のない時間だけが、幸せだと思ってしまう。

職歴・学歴・資格・技能なしとなれば、自分が今後達成出来ることの幅は狭い

未来は暗い。ただ生きるだけか……

毎日似たような暮らしをしていて、何か意味あるのかな?

気が狂ったように寂しくなる前に、露悪趣味な記事を書いて自己陶酔しよう

虚しくなって来た……。マンガとアニメと小説の世界に逃げよう……

なんかもう疲れた。犬っころと話して癒やされよう……

 現実逃避と人生を終えることには、さほど変わりがない。
 ゆえに、生きている必要がない。

 こういう筋道の話が頭の中で展開しそうになるから、なるだけ我を忘れる時間を増やしている。
 だから、極端な語り口の記事を乱発して気を紛らわす訳であり、現実面に即した思考をして、それをまとめていると、絶望がのし掛かってくるから、そうならないため能動的に異常を反復しなくてはならない。

 こうした露悪趣味な思考によって、僕はなんとか命を燃やしているのだ。

 愛犬が先立ってしまったら、僕はどうなるんだろう。
 一緒にお墓に入って、北国を照らす、夜空のお星様になりたい。
 そして、ピースに溢れたキュアの光を散らすのだ。

 ぴかぴかぴかりんじゃんけんぽん!

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雑記・ブロガーの身長について

 ニコニコ生放送とかYouTubeみたいに、自分の実態を世界に送る人々は、千差万別、多種多様な配信者がいて、高身長で屈強そうな奴、モデル顔負けのスタイルを持った奴なんかも多々いるんだけれど、主に文章のみ(殊に個人ブログ)で活動している人たちは、見るからに弱そうな男が多いと思われる。

 コンプレックスの権化みたいな。ごっついけれど背が小さいとか。

 中でも特に、ポエムというか自分の心情を綴っているブロガー、それも長く継続している人たちは、その傾向が強い気がする。
 金稼ぎに重点を置いているアフィリエイトブロガーなんかだと、もう少し人間の特徴に幅があるんだけれど、そんなの気にせず感情の赴くままに記事を投稿している人々は、僕みたいに喧嘩が弱そうというか、小柄でなよなよした感じの人が大半なのではないか。

 実利面では役に立たない抒情的な記事をバズらせるには、繊細な文章を書いて、良い意味でも悪い意味でも人の心を動かさないといけないのだから、そう考えると、女々しいひよっこみたいな人の方が、日頃からぐちぐちと悩んでいる可能性が高く、心情を操る能力が伸びていて有利なのかもしれない。

 反対に身長180cmくらいある人の記事は、無味乾燥ではないにしても、ビジネスライクというか、書き方が雑というか、言語から精神を抜き取って、人に物事を伝えるだけの魂なき自己主張の代替人形として、ブログサービスを利用している印象がある。
 背丈界の強者は、威圧感だけで物事を動かせる訳だから、言語力を強化する必要がない。

 もちろん、文才のある長身者はいくらでもいる訳だが、その場合は周囲の人間も背が高かったり、ブサイクでガリっていたりと、身長の高さを武器に出来ない日常を送らなくてはならなかったため、言葉によって人を出し抜こうとした結果、文章力が身についたのだ。

 他にもチンピラ気質で図体の大きな人間もいるけれど、そういう人の場合は、過剰に喧嘩っ早かったり、空気が読めなかったりで、一般社会に馴染めず、疎外感を抱いた末に、書くことにハマり出して、筆力が身についた可能性が高い。

 つまり、金かコンプレックスが書く動機の99%ということ。

 偏見に満ちているかもしれないが、この直感的な感想は、ある程度当たっていると思う。

 身長問題というのは、改善不可能で一生モノな男のコンプレックスであるから、こうした発言をすると、怒り狂って僕に恨みを持つ人も出て来るだろうけれど、ドラマ「嫌われる勇気」で有名になったアルフレッド・アドラーが、『ナポレオン・コンプレックス』という考え、「ちびは、劣等感が激しく嫉妬深い。すぐ僻む。それゆえに攻撃的で、偉そうな態度で自分を大きく見せようとする」を提唱している。

 僕はミカンを潰すのもやっとなくらい非力なのもあって、現実では、常にぺこぺこと、全人類の奴隷のように生きているけれど、ネット弁慶なところがあり、ブログ記事はすこぶる攻撃的なことがある。ちびだから。

 幸せな人を見てズルいと思う。ちびだから。叩かれると二倍返しにしたくなる。ちびだから。カップルを見て妬ましく思う。ちびだから。すぐ見栄を張った記事を書く。ちびだから。すぐ泣く。ちびだから。すぐ塞ぎ込む。ちびだから。彼女がいない。ちびだから。ブログばかり書いている。ちびだから。ちびを見ると安心する。ちびだから

 ちびによる証明終了。アドラーの論は正しい。

 僕は小型の負け犬です。
 しつけ不足のポメラニアンなのです。

 わんわん、きゃんきゃん!

雑記2・毎度、心配してくれる読者の方々へ

 僕は、以前削除したアカウントも含めれば、4年近くはてなブログにて記事を書いている。
 それもあって後ろ向きな文章を発表すると、ツイッター上で、情に満ちたダイレクトメッセージが相当数届くのだが、たとえ文章が病んでいても、僕という人間そのものがヘラっていることは滅多にない。
 案ずることなかれ。

 僕のように成功体験のない負け犬底辺だと、救いようのない自分の人生に開き直っているから、逆に、ほんわかした空気感を持って幸せな毎日を過ごせる。

 ネットメンヘラ集団の中には、学生時代の成績は優秀だったり、一時期はバリキャリだったりと、誇れる部分を持っている人が散見される訳だが、そうした物事の達成と一緒に形成されるプライドのせいで、思い通りにならなくなってくると、不快感情に囚われて病みから抜け出せなくなる訳だ。

 生活レベルを落とすのは大変なように、若い時代に優秀な自己イメージを持ってしまった人は、落ちぶれた事実を直視出来ず、過去の栄光を材料にした幻想に逃げ込んでしまうから、その結果、現実とのギャップに襲われ続け、終わらない痛みに悲鳴を上げ続けることになる。

 一方僕は、内気なコミュ障ゆえにゴミとして扱われていたし、受験勉強もせずF欄大学に入るも馴染めずに退学し、女の子にもフラれまくって彼女いない歴=年齢だし、借金を重ねて親に全額支払って貰ったし、薄暗い部屋でこうした誰の役にも立たない記事をぽちぽちと書くことだけしか出来ない。

 ここまで堕落した、人間失格者としての末路を辿ると、悩みとか不安がいっぺんに霧散して、生きることに憂いのない、爽やかな気持ちになってくる。
 どこにいても南の島で寝転がっている気分。
 それでいて、生きているのは幸せだけれども、仮に明日、交通事故に遭って他界しても幸せという、謎の無敵精神状態にある。

 僕のブログ記事は全てそうした、こじらせた負け犬の遠吠えなんだよね。
 幸せな雄叫びを上げているだけだから、どうか心配しないで欲しい。
 朽ちた犬小屋でおすわりしているような人生。

雑記3・読んだ本1

メメメメメメメメメメンヘラぁ… 1巻 (デジタル版ヤングガンガンコミックス)

メメメメメメメメメメンヘラぁ… 1巻 (デジタル版ヤングガンガンコミックス)

 

佐々木です

どうして返信して
くれないんですか?

普通メールを確認してから返信するまで2分もかからないと思いますけど

もう6分も
たっていますよ?
ふざけてるんですか???
?????????
???????
???????

 こんなメールを送信してきたり、高い位置から肉眼で監視してきたり、交際相手の住所を暗唱していたりするメンヘラ女との、屈折した付き合いを描いた作品なのだけれど、凄い好き。

 一定以上可愛ければ、汚泥の精神を持った悪女であっても、彼女になってくれるだけで羨ましいなと思う。
 むしろ、愛らしい性格破綻者と付き合って、僕の人生を木っ端微塵に破壊して欲しいという想いがある。
 消費者金融で借金をさせられ、その金を巻き上げられ、奴隷のように扱われるという関係。

 共依存というか、見下されたい願望がある。 
 非モテをこじらせた人であれば、この気持ち、おそらく分かってくれるはずだ。

 世の中には、明らかに振り向いて貰えない相手に、際限なく貢いでお釈迦になる冴えないおっさんがごまんといる訳だが、それはこうした心理に通ずるのだと思う。
 順調に僕も、そういう方面の人間になりつつある。

 自分という存在が、自分自身でも手に負えないくらいの敗者に成り下がると、自分で自分を叩きのめしたくなるのだ。

雑記4・読んだ本2

世界はなぜ過激化(ラディカリザシオン)するのか? 〔歴史・現在・未来〕

世界はなぜ過激化(ラディカリザシオン)するのか? 〔歴史・現在・未来〕

 

ネット利用者は、自分自身に潜んだ悪魔たる部分を告発することによって、新たなアイデンティティーを獲得していく。

 という主張があるのだが、これはまさに僕が日頃やっていることで、己の内部で蠢く、黒歴史や進行中の不名誉をあえて隠さずに放り出すことによって、素の自分を誰か一人にでも認めて貰おうとしている。

 どんな人間であれ、やはり演技して社会生活を送っているものだから、剥き出しの自分を評価されるという幸運に巡り会う機会は少ない。
 背負った物が多い人間ほど、悪質な部分も含めた素の自分を出しにくくなることを考えると、端から見れば悲惨な、持たざる者である僕は、失う物がない分、飾らない本音を投げ込めるから、幸福度は通常の人々よりも高いのかもしれない。

 僕のように落ちぶれると、「恥ずかしい部分を片端から曝け出そう、だって、僕自身という全体が恥ずかしい人間なのだから、部分に恥ずかしがってどうする」という気持ちになってくるのだ。

過激化プロセスにおいて広く共有される情念がある。それらはまず屈辱と絶望感であり、もう一方にはもっと深い恥辱を敵に与えてやるという決意と、狂人の夢想のような神学的なユートピアの実現という信念である。

 とも書かれていて、僕のように薄汚れた負け犬は、一歩間違えると世間に狂犬の牙を剥き、執拗に飛び掛かるようになってしまう。

 人生に失敗して、精神的におかしくなったり無気力になった者は、自分の生きる意味を自主的に生み出せなくなったりするから、ネットの無料空間にて、自己正当化をしやすいメッセージに惹き付けられやすくなる。
 そうやって心中に浮遊する、屈辱と絶望感を完治させる秘薬を探し求める訳だが、やはり人は低きに流れるもので、その過程において、危なっかしいやり方でもって、自分の人生に過激な意味を見出してしまうことがある訳だ。

 世界中には過激な道へ踏み込んで行く者が大勢いる訳だけれど、その心的プロセスというのは似通っていて、やはり疎外感から解放されたいという気持ちが、行動の原理になっている。
 認められないと、人はどんなことだって、しでかしてしまう。
 それが自分に向かうか、他人に向かうか、自他同時に向かうか、の違いがあるだけ。

 承認の問題が、全ての問題の始まり。

「無能な自分」を極大化させて売り込むビジネスが続出中 この世は無能ばかりゆえに、応援されやすいから

仕事論

 ニコニコ生放送やYOUTUBE、そしてブログサービスなどにおいて、己の無能っぷりを誇示することにより、似たり寄ったりな無能を引き寄せ、広告収入や投げ銭を集めることで、生計を立てようとする者が次々に登場するようになった。

 僕は10年前から、素人の配信活動をチェックするのが趣味なのもあって、大勢の無能が上り詰めていく過程をこの目で見届けてきた。

その昔、無能は金にならなかった、無能は見世物にしかならなかった

 だが今や、突き詰めた無能は、一つの職業として成立するようになった。

 無能界にも序列があり、どこかしらで通用する無能力を持った者は、いくらでも支援され、金と女に困らない強者になることさえありえる世界が完成した。

 なぜならば、インターネットの浸透、進化、発展によって、日本中の無能がパソコンやスマホなどといった、バカでも難なく使えるアイテムを手にし、昼夜問わずに利用するようになったからだ。

類は友を呼ぶ、とどのつまり無能は無能を好む

 一昔前は、インターネット世界にも、発信者と受信者の間に溝があり、距離があったのだけれど、IT文明の発達によって、それが取り払われた。
 結果、交流が盛んとなり、つまりインタラクティブなシステムが整ったことで、赤の他人を応援するという文化が急速に生じた。

 では一体なぜ、無能は無能を支援したくなるのかというと、無能が何かを成し遂げてくれたら、「無能な俺の人生にも夢があるかもな!」と明るい気持ちになるからだ。

 そして人間というのは繊細な生き物だから、現実世界において、すぐ近くにいる無能のことは、見下し、蔑み、侮るのだが、その理由は、本当に近くにいる無能が成功すると、極熱の嫉妬心を浮上させてしまうからだ。

 まとめると、遠くにいる無能の成功には希望を感じ、近くにいる無能の成功には絶望を感じるということだ。

 そのため、ブログ界などでもそうだが、実は大したことのない書き手の方が、人気に火が付きやすい。

 世の中は無能な人間で溢れかえっている訳で、彼らが、「この程度なら俺もやれるかもしれない! 低級品質の文章でも稼げるなんて、こしゃくな商売だぜ!」と、希望を胸に抱き、奮起可能だからである。

 無能がひしめき合う社会ゆえに、配信者やブロガーはメイクマネーを果たすのだ。

「誰かの為になる文章を書けば、食い扶持を稼げる」のではなく、「無能に優しい、無能の心を躍らせる、無能向けマーケティング・ライティングを徹底するから金が転がり込んでくる」ということで間違いない。

 ブログ界とか配信界でも、ちょっと上手いこと行くだけで、成功論を語り始める者が後を絶たない訳だが、そんなものは聞くに値しない。

 なぜ彼らが急成長したのかという答えは簡単、凡人だから。

あの程度でも良いの? 俺にも出来そうじゃん!」とわらわら、無能が寄り集まってきて、凡人が祭り上げられることによって、後から来た人々までもが、「凄い、なんか良く分かんないけど、あの人凄い。たぶん凄い! いやマジすごくね!?」と自己暗示しながら、気付けばファン化する。

 読み手が洗脳されたような状況になっているから、もうそうなってしまえば、凡人の平凡な記事を読んでも、「すっげぇー、筆力、やっべぇー、レベルちげぇ! べぇ!」と狂信者じみてしまう。

 このようなプロセスで大成する者が、現れてきている。

地球というのはバカの巣窟だから、ネットの浸透によってバカな成功者が生まれるのは必然

 バカはバカゆえにバカが好きだから、バカはバカに応援される。

 かつては、バカだと、日陰でじめじめ暮らさなくてはならなかった。
 しかし、ここに来て逆転し始めた。

 中途半端に頭がキレる高飛車なクソ野郎よりも、全てを曝け出し、刺し違える覚悟を持ったバカの方が、幸せを掴みやすくなった。
 自惚れた出来る人間気取りが、僕らバカの踏み台になるお鉢が回って来たんだ。

 ざまあみさらせ。

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雑記・読んだ本

新・堕落論―我欲と天罰―(新潮新書)

新・堕落論―我欲と天罰―(新潮新書)

 

愛にせよ憎しみにせよそれは他者との関わりの中に生まれるさまざまな渇仰の所産に他なりませんがしかし今では多くの人間は自らは愛についても憎しみについても何に渇いているかを知れずにいる。また、知るのを恐れている。

 と書いてあるように、誰であれ、絶対に見せたくない内緒事を抱えていて、それが剥き出しになってしまうことを恐れ、本来の自分とは違う人間を演じて生きているものだ。

 大体の人は、有能ぶりたくてしょうがなく、認められるために全ての労力を注ぐ。

 その中でも、ネットでネガコメばかり書き散らしているような、立派で徳の高い社会人気取りの自称・頭の良い人たちは、己の大したことなさから目を背けて暮らしているから、その無能っぷりを暴かれるような事態に遭遇すると、怒りが頂点に達する。扁桃体が激怒する。メロスのようにアドレナリンが体中を駆け巡る。

 こうしたプライドの高い、高飛車な隠れ無能を、どう振り向かせられるかによって、無能ビジネスが成功するかどうかは決まる

 やはり、分かりやすい無能ばかり集めても収入はすぐに頭打ちになってしまうから、能動的に無能を発掘する作業が必要だ。

「好きなことで、生きていく」みたいな耳当たりの良い言葉を駆使して、催眠術を掛けるように、ターゲットの無能さを表に出すという作業が必須。

 人々に、自分の無能さを痛感させるのだ。

 だから率先して自分自信が、無能を誇りながら、活き活きと生きて、「開き直った無能はこんなに幸せなんです!」ということを高々と宣言してゆく。
 つまり有能人のポーズを取った人々を、無能界に引きずり込むのが肝心要。

 そうした地道な活動を継続することによって、有能という幻想に取り憑かれた、無能な人々の目を覚まさせ、「俺は無能!」「私も無能!」「僕も無能!」というシュプレヒコールを巻き起こし、無能ネットワークを急拡大させる。

 無能力という能力を、磨き上げよう。

 努力なくして、真の無能なし。

雑記2・なぜ僕のブログは、アンチが沢山いるのか

 親の会社でだらだらと働いて、のうのうと暮らしているから?

pipipipipi-www.hatenablog.com

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 一つ目の記事を涙ながらに書いたら、「嘘松」「誰の得にもならない記事」と叱られ、二つ目の記事では、「このブログだけ非表示に出来ますか?」というコメントがつき、それに賛同するスターが70以上ついた。

 僕は人を煽るような記事を書いたことなんてないし、ただ日記帳に、「今日は爽やかな一日でした」に類するような、当たり障りない文章を書いているだけなのに。

 勘違いしている人も多いけれど、僕そのものは金持ちじゃないし、それどころか貧窮の真っ只中。

 たしかに、家庭内ベーシックインカムがあることで、細々と食うに困らないのは事実だけれど、決して贅沢は出来ず、薄給の中でやりくりして、今を生きている。

 毎月、社内預金として給料の大半を没収されてしまうから、遊びに使える完全な自由金は5万円ほどしかない。
 そこにブログ収益が5万円くらい加わる訳だけれど、それでも10万円。

 もしも可愛い彼女が出来たとしても、関係を維持するためになけなしの金で貢いだりして、貯金が底を尽きればすぐに捨てられてしまう。

 書籍に関しては、父親のパソコンで定期的に50~100冊単位で頼むことを許されているから、そこだけは裕福かもしれない。

 あと希に、旅行に行く際は数万円プレゼントしてくれる。
 でも、親友が東京にしかいないから、月に1万円くらいしか使わないことすらある。

 どう考えても、色んな意味で悲惨な状況にいるのに、なぜ烈火の如くお怒りになる人がいるのだろう。
 弱い者イジメだと思う。

 お金もない、彼女もいない、学歴もない、免許もない、資格もない、コミュ力もない、やる気もない、忍耐力もない、集中力もない、ほとんど童貞

 そのような同情されるべき、悲劇の主人公である僕を笑う人が増えている。

個人のブログ記事が炎上するのは99%読み手のせい 疲れた人々による批判という代償行為

ブログ論

※お喋り動画、掲載しています。

世の中は思った以上に、考え方の屈折した社会不適合者だらけ

 大衆は疲労困憊している。莫大なストレスを抱えている。

 理想通りに運ばない現実にムシャクシャし、そのムカツキを、ネット上で撒き散らす代償行為が頻繁に行われている。

 結論を先に書くなら、個人ブログが炎上するのは、人々が絶望と嫉妬によって常軌を逸した状態にあるからなのだ。

 彼らの、「鬱憤を放出したい!」という願いが肥大化しているため、叩くべき人間を叩くよりも、叩ける人間を探して叩くという、ヒーローごっこが各地各所で展開するようになった。

炎上とは、哀れな読み手の阿鼻叫喚なのだ

 嫉妬感情、ルサンチマンに操られて踊り狂う彼らは、自分が嫉妬していることすら、認識出来なくなるほど、自惚れている。
 それも同族嫌悪が激しく、自分と似たようなレベルの人間が、あることないこと自己主張して、衆目を集めていると、激憤する。

 出る杭は打たれるというか、「自分だけ救われようとするんじゃねぇよ。スキルは俺と同等か、それ以下なはずだろ。無能の分際で逃げようとすんな。みんなで苦しもうぜ!」と考える、自他虐待的な連中が、足を引っ張ろうとしてくるのだ。

 そのような、かわいそうな人間が増えている。

記事を読むのが面倒な人のために、お喋り動画をアップした


「ブログ記事が炎上するのは読み手のせい。鬱憤の溜まった人が増えているから」という話

pipipipipi-www.hatenablog.com

 この記事についても、ちらっと話した。
 たくさんの励ましメッセージが届いて泣けた。

記事の炎上=読者の自己陶酔

 読み手がナルシシズムを発揮することによって、記事が着火する。

 4年間、はてなブログを利用して分かったのは、この小さなウェブサービスの世界だけに限定しても、寛容さの欠如した、多様性を許せない人々で溢れかえっているという事実だ。

 自分の中の「絶対」から外れた人の記事を、「炎上案件」と断定して叩きのめそうとする、自分絶対主義者が掃いて捨てるほどいる。

 単刀直入に言うならば、自分に酔いしれている人間ばかりということだ。

 そうした思考的酒乱な人々が、状況判断能力を欠いたまま脊髄反射的に、己の正義を振り回すことで、たかだか個人のブログ記事がお祭り騒ぎになるのである。

自己中心的な人が増えたのは、日本社会が歪んでいるから

 僕らが根を下しているこの日本は、資源の再分配機能が破綻しているため、中間層以下の人々は、将来に悲観し、苛立ちを伴いながら生きている。

 つまり憂鬱がベースの日常を暮らさなくてはならないから、なるべく自分に甘ったるい飴を与え、他人にトゲ付きの鞭を振るうようにして、積極的に、妄想の中で自己を肯定し続ける。
 このように過剰な自己讃美をすることで、どうにかこうにか心を保っている人がわんさかいるのだ。

 もはや世の中は、自分大好きな酔っぱらいばかりであり、彼らは、己の正しさを延々と確認するために、インターネット上で赤の他人に難癖を付けまくる。

 昨今、クレーマー体質の読者が続出しているのも、妬み嫉みや自己正当化に囚われがちな人間の性質、そして寒々しい社会状況が重なったせいなのである。

 ここまでをまとめると、小規模な個人のブログ記事が炎上するのは、世間が疲れ切ってしまっているからということになる。

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大衆の集合的な認知が歪んでいる

 どいつもこいつも頭がおかしくなってしまったのだ。

 そのせいで、僕のように善良な一般人の正当な意見までもが、「炎上狙い」「無慈悲な煽り」「迷惑行為」と捉えられてしまうことがある。

 僕は、誰かを煽り立てたり、記事に火を付けたりしようとする気持ちは、ただの一秒も抱いたことはなく、細々と平和に当たり障りない発言を繰り返して、ハートウォーミングなブロガーライフを送れたら、それだけで満足だと思っている。

 つまり、僕の記事が炎上するのは、どう考えてもお前らが悪い。

雑記・読んだ本

心はなぜ苦しむのか (朝日文庫)

心はなぜ苦しむのか (朝日文庫)

 

現実の世界はわれわれが恐れているほど敵対的ではないし、われわれが期待しているほど友好的でもないということですね。

 と書かれてあるが、残念ながら今の社会は、全ての人間が材料化されてしまっている。
 必要以上にブサイクだったり、トンカツデブだったり、挙動不審だったりすると、予想以上にジロジロ見られてしまう。

 なぜならネタ作りの好材料になるからだ。

 ツイッターの文化を見ても分かるとおり、他人を小馬鹿にして笑いものにすることがエンターテイメントになっているため、「人は人に興味がないから、恥ずかしがることなんてないよ。自信を持て」という一昔前の助言は通用しなくなっている。

 みんな見られている。みんな貶されている。みんな失笑されている

 互いに監視し合い、罵倒し合い、殴り合いをいつまでも続け、共倒れを目指す世界が完成している。

 インターネット社会というのは、皆で皆を傷付け合う恐ろしい場所なのだ。
 だからこそ僕は、人の幸せに喜び、人が幸せになるような文章を書いて、少しでもみんなが豊かに生きていけるように努力したいな、と常々、思っている。

雑記・読んだ本2

 これは何回も読み込んでいるし、マンガの中でトップ3に入るほどに大好き。
 ヒロイン・もこっちが、リア充を横目で睨み付けながら、『私の寿命一年減らしていいから あいつら事故死しねーかな…』と湿っぽくぼやくシーンがあるのだが、この僕も、はてなブログやツイッターなどを利用して、幸せそうな人を見掛ける度にそう念じている。

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